本棚に本があふれてる

読書の記録と本にまつわるあれこれ

心の中のひみつ基地~「だれも知らない小さな国」

 

 

 

子どものころ、「ひみつ基地」にあこがれたことありませんでしたか。

私が子ども時代に住んでいた町には裏山だの雑木林だのはすでになく、

子どもが自由に遊べる空き地(「ドラえもん」にでてくる、土管のある原っぱみたいな

場所)もありませんでした。

それでも「ひみつ基地」へのあこがれは止まず、公園の遊具や植え込みの中で、

あるいは家の押し入れの中で、友達とお菓子やおもちゃを持ち寄って

「ひみつ基地」ごっこをしたものでした。

この本の主人公「ぼく」が見つけた「ひみつ基地」はそんなもんじゃありません。

杉林に隠された、小川のそばの小さな小山。

小山の三角平地には、泉が湧いていて水を飲むこともできるし、

椿の木に腰かけて本を読むことだってできるのです。

なんてうらやましい!!しかもこの小山にはもっとすごい秘密があったのです。

葉っぱの陰に隠れ、カエルに変装し、目にもとまらぬ速さで動き回る小さな人、

こぼしさまです。「ぼく」は、こぼしさま=コロボックルとの友情を育んでいきます。

 

このコロボックルの登場シーンが最高!

子どもの靴を舟代わりにして小川を下ったり、

不意に窓から飛び込んできたり、

傘の骨に止まっていたり、

壁の節穴を通り抜けようとしてお腹がつかえてしまったり、

ピアノの鍵盤の上にポーンと飛び降りて音で存在を知らせたり。

作者の精緻な描写と村上勉さんの挿絵の相乗効果で、本当にコロボックルがそこにいる

ように感じられ、いや、いると信じていました。

「ぼく」がうらやましくてうらやましくて、家の椿の木にも住んでいないだろうか、

勉強机の引き出しを綺麗にしておいたら隠れ家に使ってくれるかな、

など思っていたものです。

 

でも、「ぼく」は偶然コロボックルに出会えた、単なるラッキーボーイではないので

す。そこがこの物語の奥深いところだと思います。

確かに小山を見つけたのは偶然でした。

でも「ぼく」は小山の存在を友人にも秘密にし、綺麗に手入れをし、

いつか自分の物にしようと決心します。

大人になって、一時は小山の事を忘れていた「ぼく」は、少年の時の夢を思い出し、

実現にむけて動き始めます。苦学の末仕事を見つけ、働きながら小山を借り、

自力で小屋を建てます。

一方コロボックルの方も、自分たちを理解し、住処を守ってくれる人間を探している

ところでした。

「ぼく」のことも長い間密かに観察し、この人なら大丈夫と判断して

初めて「ぼく」の前に姿を現したのです。

「ぼく」とコロボックルは力を合わせて、開発から小山=「やじるしの先っぽの国」を

守り抜きます。

夢を持ち続け努力することの大切さ、異質なものへの理解と協調、環境問題など、

現代にも通じる普遍性があり、だからこそ長い間読み継がれているのだと思います。

 

最後にもう一人思いがけない人との再会があり、

コロボックルと「ぼく」の明るい未来を示しつつ物語は幕を閉じます。

コロボックル物語は全部で6冊のシリーズになっていますが、

個人的には1冊目のこのお話が一番面白いと思います。

 

 

さて、「だれも知らない小さな国」はどこかにあるのでしょうか?

あります。

私たちの心の中に。作者はあとがきでこう書いています。

 

 

人は、だれでも心の中に、その人だけの世界を持っています。その世界は、他人が外からのぞいたくらいでは、もちろんわかりません。それは、その人だけのものだからです。そういう自分だけの世界を、正しく、明るく、しんぼうづよく育てていくことのとうとさを、わたしはかいてみたかったのです。

 自分だけの小さな世界は、たいせつにしなければいけないと思います。同時に、他人にもそういう世界があるのだということを、よく知って、できるだけ、たいせつにしてやらなければいけないでしょう。 

(『だれも知らない小さな国』あとがきーその1ー

 佐藤さとる 講談社文庫)

 

自分の心の「ひみつ基地」にひっそりと住んでいるコロボックルたちに会いたくなった

時に、何度でも読み返す一冊です。