本棚に本があふれてる

読書の記録と本にまつわるあれこれ

『よむよむかたる』

北海道小樽にある小さな喫茶店「シトロン」。自称「小説家」の安田は、

店の経営を叔母から引き継ぐこととなったが、引き継いだものはそれだけではなく…

 

 

茶店で開催される小さな読書サークル。課題図書は『だれも知らない小さな国』。

この設定を知っただけで、条件反射的に手に取ってしまいました。

大好きな『だれも知らない小さな国』をどんなふうに読んでいくのだろう?と

ワクワクしながら。

 

安田の引き継いだ喫茶店で開かれる読書サークル「坂の途中で本を読む会」は、

会員6名、平均年齢はなんと85.3歳!

コロナのために活動を休止し、3年ぶりにようやく喫茶シトロンに集まるというところ

から物語が始まります。

なんだか一癖も二癖もありそうな、にぎやかなご老人が一堂に会す場面がこの後も何度

も出てくるのですが、それがとても楽しいのです。

まともなのかボケているのか一瞬わからない揺れ動く感じ、お互い好き勝手なことを

言い合い本筋からあちこち脱線するかと思うとまた唐突に話がもとに戻ったり、急に

泣き出したり怒りだしたり。それは同年代の自分の親たちを見ているかのようで、

時にはイライラさせられたりすることもあるのですが、「なんもなんも」「そ

うだよう」「~なんだヮ」といったうたうような柔らかな北海道ことばのおかげか、

なんとなくほっこりしてしまうし、時折発せられる鋭い一言には、長く生きてきた人な

らではのユーモア、達観、諦念のようなものも感じます。そしてそれを穏やかに傾聴で

きる安田もなんかいいひとだなぁ…でも『だれも知らない小さな国』は?(←せっかち

なわたし)。

 

そんなこんなでようやく話がまとまっていき、

全員一致で安田を新メンバーとして迎え、20周年記念誌の編集も依頼。

安田も成り行きにおどろきつつも嫌とは言わず、それどころかかなり前向き。ほんとい

いひと。

安田への自己紹介を兼ねて会の成り立ちを語る会長の言葉がとてもいいです。

 

(妻の死を)救ってくれたのが本でした。(P28)

「よくあるじゃないですか。本を読んでると、特にどうということのないシーンや

描写でも、それがきっかけでごく個人的な思い出が連想されること。

記憶に埋もれていたこども時代のある瞬間や、家族とのなんでもない会話なんか

が、渡り鳥みたいにはるばるとやってきて、ここに留まるというような。(中略)

そんな話もあたくしは妻としたかったですよ」(P28)

 

そうそう、本を読んでいるとこういう瞬間がありますよね…。

もはや心は「坂の途中で本を読む会」の新メンバーになった気分のところで、

ようやく、『だれも知らない小さな国』を読み始めることとなり。

待ってました!さあどう読む?

と、腕まくりしたところで、え?と虚を突かれました。

 

・「こぼしさまが住むという、「近よってはならない、えんぎの悪い山」=「死」

・こぼしさま=村人から「「死」への思い煩いを遠ざける役目をしたのではないか

・こぼしさま=<おみとりさん>=安らかな死を看取ってくれる存在=死は怖いもので

 はない

 

わたしは『だれも知らない小さな国』には明るい生命感と未来への希望しか感じていな

かったので、「死」が真っ先に出てくるこの解釈は非常に予想外でした。

けれども、高齢者ゆえ、常に「死」がそばにある。

無事20周年を迎えた読書会、でもいつまでこのメンバーで続けていけるのだろうかとい

うひそかな怖れと不安がある。

読む人によって、同じ本でも受け取り方が違うということを改めて感じました。

 

一方、安田も『だれも知らない小さな国』を読むことで、あるイメージが

頭に浮かんできます。前髪を厚く下した少女の横顔。この少女は…?

 

これは『だれも知らない小さな国』の、あの再会がここにも!?

 

と、『だれも知らない小さな国』との関連を微妙に匂わせつつ、

その一方で20周年記念誌の発行、まちゃえさんの息子の謎、メンバーに訪れる変化、

などのいろいろなエピソードが詰め込まれ、ページをめくる手が止まりませんでした

。正直、『だれも知らない小さな国』を読んでいなくてもじゅうぶん面白いと思いま

す。

 

けれどマニアとしては、やはり決定的な共通点を見つけたいと思いながら読んでいて…

安田が「坂の途中で本を読む会」の行く末を見届けようという決意を固めたところで

気づきました。

「坂の途中で本を読む会」は、安田が思いがけず見つけた「小さな国」であり、

心優しい老人たちは国を守るコロボックルであり、ともに国を守る仲間を探していて。

選ばれた安田はその小さな国の番人となることを決意する…ということなのではないか

と。

 

そして最終章のタイトルは「おぅい、おぅい」。

だれも知らない小さな国』の「ぼく」が「おちびさん」に呼びかけるかけ声。

幼いころの安田を呼んでいたのは…? 

 

 

だれも知らない小さな国』のエンディングで、「ぼく」は

 

「矢印の先っぽのコロボックル小国!いつまでも静かな明るい国でいてくれ」

 

と心の中で呼びかけます。

「坂の途中で本を読む会」もまた。

 

最高の仲間と過ごす最高の時間が毎月第一金曜日に待っている

(P248 )

 

いつまでも、続いてほしいものです。

 

 

ひとりで本を読んでいたのに、大勢の人と読書会をしているような気持ちになって、

本当に楽しい時間でした。

好きな本についてのあれこれを本好きな仲間と語る会、もしあったら参加してみ

たい…!?

いや、わたしはリアルで話すのは照れがあったりしてちょっと苦手なので、

やっぱりブログで「ひとり読書会」をしているほうが似合っているかもしれないです。

 

 

 

(過去記事)

zoee.hatenablog.com

 

 

巳年なのでヘビのお話

2025年は巳年。

「生と死の象徴」「神の使い」として世界各地で信仰の対象になってきたヘビ。

ヘビが古い皮を脱ぎ捨てるように、わたしも古い思い込みやしがらみを脱ぎさって、

心機一転、気持ちも長ーく持って2025年を過ごしていきたいものです。

 

さて干支にちなんでヘビの出てくるお話・・・せっかく干支つながりなので日本の

お話で、どーんと大きいやつを。

 

 

 

ちいさいころ子供向けの『日本の神話』を持っていて(残念ながらどんな本か忘れてし

まったけれど)、その中で「因幡の白うさぎ」とならんで圧倒的に印象に残ったのがこ

の「ヤマタノオロチ」のお話でした。乱暴者のスサノオノミコトですが、このお話の中

ではとてもカッコいいと思いました。

 

スサノオノミコトが頭が8つにわかれた大蛇ヤマタノオロチを退治して、クシナダヒメ

を助けるお話。

大蛇の流した血で川が赤く染まった・・・という川は今の島根県にある斐伊川だと

言われています。

また三種の神器のひとつである草薙の剣はこの大蛇の身体から出てきたそうです。

 

大暴れして人の命を奪うヤマタノオロチは氾濫を繰り返す斐伊川とその支流、

剣は高度な製鉄技術、赤い血は鉄の錆(あるいは鉄を精錬する炎)、を表しているとも

言われています。

 

神話をそのまま物語として読んでももちろん面白いけれど、

「実はこういう意味がある」という説もとても興味深いです。

昔のひとが神話に託した想い、何を後世に伝えたくて語り継いできたのだろうと想像す

ると、時の長さと、何世代にもわたる命のリレーの結果、今自分がここにいるという不

思議を感じます。

そして人はいつか死ぬけれど、誰かが記憶し、記録し、語り継いでいく限り物語は続い

ていくんですよね。自分の尾をくわえて丸くなったヘビ(ウロボロス)のようにいつま

でも。

願わくばいつまでも平和な記憶を語り継げる世の中であってほしいと思う、2025年の初

ブログでした。

 

『ドラゴンの塔』

ドラゴンつながり、ナオミ・ノヴィクつながりでもう一冊。

 

 

 

谷のはずれに立つ「ドラゴンの塔」。

10年に一度、17歳になる谷間の村の娘が一人、領主である魔法使い「ドラゴン」に選ば

れて塔に連れていかれてしまう。

誰もが美しくて賢いカシアが選ばれると思っていたのに、選ばれたのはやせっぽちでぼ

さぼさ髪の、何のとりえもないアグニシュカだった…。

若い娘を連れ去る領主、塔に住む娘、うっかり踏み込めばなにものかに襲われ、

生きては帰れないという〈森〉。『青ひげ』『ラプンツェル』『赤ずきん』など、ヨー

ロッパのおとぎ話的雰囲気がわたしの好みど真ん中で、わくわくしながら読み始めまし

た。

英語でのタイトルは 『Uprooted』。最初はなんじゃこのタイトルは?と思っていたのですが…。

 

なぜ自分が選ばれたのかわからないまま、ある日アグニシュカはドラゴンの書斎で一冊

の美しい本を見つけ、それに「呼ばれたような気がして」(←この表現大好き! 本に

呼ばれる、ってホントにありますよね)

思わず手に取ると、「読んでいるすべてが理解でき」、「声に出すと言葉が鳥のよう

に歌いだし、美しい響きを奏で」て!

アグニシュカはまさかの「魔女」だったわけですが、その呪文の唱え方や得意な呪文が

ドラゴンとまるで違うところが面白いです。例えば料理をするとき、レシピ通りに作っ

てもなぜかうまくいかないとか、母親に教わった通りにつくったのに「おふくろの味」

にならない、ということがよくありますが、呪文もそれと同じ、得意分野とか、その人

だけの微妙な「さじ加減」があるということですね。ドラゴンに教わった通りにやると

ドレスさえ思い通りに出せず、綺麗なドレスもすぐぐちゃぐちゃにしてしまうのに、

癒しの術にたいしては天才的なひらめきを見せたり、初見で難しい呪文を読みこなせた

りする、ちょっととっ散らかった、でもエネルギーにあふれたアグニシュカがとても

魅力的です。

 

けれど、アグニシュカの力が目覚めるのを待っていたかのように様々な事件が起こります。

〈森〉の穢れをうけた村人、何年も前に〈森〉で行方知れずとなった王妃を見つけ

出したい王子、さらわれた友、勢力を広げたい隣の大国ローシャ国の動向…。

これらは偶然なのか、それとも誰かの企みなのか?アグニシュカとドラゴンの運命は?

 

目まぐるしく展開する物語の中で、一貫してとにかく不気味な存在である〈森〉。

森は生活に必要な物資を与えてくれる一方で、開墾しても開墾しても再び成長し人里に

迫ってくる旺盛な生命力(=不死)は人々に脅威を与え、大きな木が風に吹かれて枝を

動かせば、まるで生きているように感じたことでしょう。また、森の中で道に迷い、狼

などの獣や森に潜む無法者たちに襲われ、命からがら帰ってきたときには正気を失って

いた、そういう事例は実際沢山あったでしょうから、「森は怖い場所」というのは

一般的な認識なのでしょう。けれど、この世界の〈森〉は、スティーブン・キング

『It』のようで、得体のしれない底知れぬ悪意が感じられてとにかく怖い。

また、〈森〉の「穢れ」がどんどん広がっていくというところは『風の谷のナウシカ

や『もののけ姫』のようですし、森にとらわれた王妃と言えば『ナルニア国』の

『銀のいす』。古い森の中の動く木と言えば『指輪物語』。

そんなあれこれを連想しつつも唯一無二の世界感にぐいぐいと引き込まれていきます。

〈森〉に棲んでいるやつが予想外にエグくて戦闘シーンは目を覆うばかりに血なまぐさ

く恐ろしいほどの緊迫感。その一方でアグニシュカがドラゴンと一緒に呪文を唱えてふ

たりの魔法(=ふたりの心)が溶け合っていくシーンはロマンティックかつ官能的。

そして終盤に明かされる〈森〉の秘密とは?

おとぎ話、ラブロマンス、ホラー、ミステリー、全部の要素が詰まったような濃密な物

語に時間を忘れて読みふけりました。

作者は作中で、魔法に関して、

「そこにある魔法」を有ると信じて、その取り出し方を知っている人が魔法使い、

といった表現をしていますが、頭の中からこんなすごい物語を紡ぎ出せるというだけ

で、作者自身がじゅうぶんミラクルな魔法使いなのでは、と思います。

 

そして、読み終わって改めてタイトル『Uprooted』を振り返ってみると、

〈森〉に根こそぎにされ飲み込まれた村々、

平凡な少女から一転「魔女」として生きることとなったアグニシュカ、

〈森〉にとらわれた王妃とカシア、そして母を思い続けた王子、

そして〈森〉の過去・・・

生活を、価値観を、大切にしている何かを、ことごとく「根こそぎ」にされてしまう登

場人物すべてに当てはまるタイトルだったのだと改めて感心させられました。

 

『アーサー王ここに眠る』

「あれは名作だった」と言える本を一つ選ぶとしたら?

あの本もいいしこの本も好き。どの本も気に入れば自分の中では「名作」だし、…と悩

みました。

でもせっかくなので、比較的最近読んだ中で「おおっ、これは名作では!」

と思った本を挙げるとしたら

アーサー王ここに眠る』でしょうか。

2年くらい前にアーサー王伝説関連の本を読みまくっていたことがあり、その中の一冊

だったのですが、「こんな面白い本を知らずにいたなんて!」と感動しました。

 

 

2008年度のカーネギー賞を受賞しています。

本のタイトル(原題は”HERE LIES ARTHUR”)は、アーサー王の墓碑銘とされる

「ここにアーサー王眠る。かつての王にして、来たるべき王」という言葉からとられて

いるそうです。

 

この本のどこに感動したかというと、

アーサー王という良く知られた題材を今までとは全く違った視点から描いていて、

え?この人が〇〇?このエピがあのエピってこと?という驚きの連続なのに、読み終わ

ればちゃんと「アーサー王の物語」を読んだ、むしろこのほうが本当なのでは?と思わ

せること。

 

アーサー王といえば、国が危機に陥った時には人々を救うため再びよみがえると言われ

ているイギリスの伝説的な王。

宝剣エクスカリバー

湖の乙女

魔法使いマーリン

ランスロットと王妃グィネヴィアの恋

円卓の騎士

聖杯伝説

などなど、有名エピソードがてんこ盛りですが、

本当に実在したかどうかについては諸説あり(5,6世紀のブリテンにモデルらしき人が

いたらしいです)、聖杯伝説は12世紀ごろになってから付け加えられた話なのだそう

です。

日本で5,6世紀ごろの人というと聖徳太子がいますが、この人にもいろいろな逸話や

伝説がありますね。また12世紀ころの日本のヒーローといえば源義経。この人にも「生

き延びて大陸に渡りモンゴル帝国の祖となった」なんていうすごい伝説があります。

今私たちが知っている歴史というのは「勝者の歴史」であって、勝った側の観点から描

かれているとか、為政者の都合のいいように編集されているという話はよく聞きます。

何百年も昔のできごとは、タイムマシンでもなければ真実を知ることは不可能です。

ですので「強く、賢く、高潔な指導者に戦争のない平和な世を築いてほしい、苦しみ

から救ってほしい」という庶民の願いや、「我々の先祖はこんなに素晴らしい人物

だったのだ」といった為政者の思惑、さらに複数の人の業績や昔からの言い伝えが一

緒になってさまざまな偉人の伝説ができ、「アーサー王伝説」もその一つという

ことのようです。

 

さて、本作は「いかにしてアーサー王がうまれたか」を描いた物語。

最近よくある「エピソード0」的なものを予想し、どんなきらびやかなストーリーが展

開されるのかと思いきや…。

作者の手にかかると、アーサーは勇敢だけれど勢力争いにしか興味のない粗暴な部族の

長、魔術師マーリン(にあたる役どころの人物)は魔法の力どころか医術もろくすっぽ

知らない、口のうまい吟遊詩人にすぎません。ましてやアーサーに剣を授ける湖の乙女

の正体は…。

吟遊詩人ミルディンは、「アーサーこそが王になる」と言い続け、それを周りに信じさ

せるために様々な策略を講じ、盛りに盛った武勇伝を皆に語ります。非常にインチキく

さいのに、なぜか周りはそれを信じ、感動の涙を流し、アーサーを支持するようになっ

ていく…。

巧みに情報を操るものが政治を動かしていくところは今の社会にも通じるリアリティを

感じますし、その一方でストーリーとしてはあくまでよく知られたアーサー王の物語を

なぞっているし、けれどその中にジェンダーだとか現代的な要素も盛り込まれている

し、胸キュンな要素もあるし、アーサーの死という悲劇の中にも一抹の希望をのこして

物語が終わるところも素敵だし、とにかくもう何もかも素晴らしくて。

自分ではうまく表現できないので訳者のあとがきをお借りします。

事実と想像力の分かちがたくからみあう錬金術の中で、物語という奇跡が産み落とされるのだな、と思います。事実と想像力は相反するものではなく、両者があわさって、ゆるぎない真実を生み出してゆくのだと。(P.370)

そして主人公の言葉も。

物語は残っていきます。ほかの何が残らなくても。物語は闇を照らす光になって、闇が続く限り燃えつづけ、闇をつらぬきとおして朝をもたらすでしょう。(p.342)

 

きっといつまでも残る名作になると思います。

 

今週のお題「名作」)

『テメレア戦記』~辰年なので龍の本~

もう4月になるというのに今更感がありますが、今年2024年は辰年

「辰」という字には「植物が上に伸びていく」という意味があるそうですが、

いろいろな物事も上向いて、龍のように大きく飛躍する年になってほしいですね。

 

さて辰=龍=ドラゴン、といえば

 

 

19世紀初頭、ナポレオン戦争の最中のヨーロッパにドラゴンが存在し、人を乗せて

空を飛び敵軍と戦う、というパラレルワールドを描いた『テメレア戦記』。

待望の第7巻です。

 

史実とファンタジーが融合し、「邪悪で残忍」といったドラゴンのイメージが覆される

意外性、人とドラゴンが一体となって繰り広げる空中戦のカッコよさ。

そして、ひょんなことからドラゴンの「担い手」となってしまった海軍士官ローレンス

が、ドラゴンのテメレアと数々の困難を共にする中で、空軍と海軍との違い、国と国の

政治観の違い、任務と自分の理想との違い、そして人間とドラゴンの考え方の違いとい

った価値観のせめぎあいに悩みつつも、種族を超えた絆を深めていく過程がたまらなく

面白い本作品。

 

第6巻はオーストラリアに足止めされたところで終わってしまい、さあこれからどう

なる?と思っていましたが、第7巻は、オーストラリアでつかの間の平穏な日々を過ご

していたローレンス達のもとに使いが訪れるところから始まります。

いや、困ったときのローレンス&テメレア頼みですか?体よく島流しにしておいて調子

よすぎない?と憤慨しつつ、でもローレンスは祖国のためなら絶対に断らないよね

、そうでなきゃ、とも思ってしまう。

そもそも第1巻からローレンスとテメレアには無茶ぶりの連続で、一難去ってまた一

難、ようやく国に戻れるかと思えばまた次の冒険。まるでオデッセイのようです。

ということで、新たに始まったオデッセイローレンスとテメレアの旅の目的地は南米大陸

アリージャンス号で太平洋を横断しようとしますが、「そう簡単に着くわけがない」と

思う読者の期待を裏切らない、暴動だの嵐だの、お約束の危機の連続。

だけどまさかのあの人が・・・!(さすがにこれはちょっとやりすぎでは?(涙))

けれど悲しむ間もなく、裏切り、挫折、戦闘、策略につぐ策略・・・息つく暇もない展

開にページをめくる手が止まらなくなってしまうのもまたお約束。

祖国のために孤軍奮闘しつつ、人とドラゴンの関係はどうあるべきかと思案するローレ

ンス、そんなローレンスを慕いつつも、いっそ彼が権力を握ってしまえばいいのにと思

うテメレア、めっちゃ強いけどはねっかえりの「イカれ娘」イスキエルカの暴走っぷり

とそれに翻弄されるグランビー。おなじみメンバーも健在でやっぱり楽しい。

ようやくたどり着いた煌びやかな黄金の都インカ帝国では、また一癖も二癖もあ

るドラゴンたちが出てきて・・・?そして宿敵ナポレオンも・・・!どうなるローレン

ス?!

懐かしい仲間のドラゴンやその担い手たちも集結することを予想させつつ、一行は新た

な目的地へ。そして物語は第8巻へ・・・。

全9巻で完結しているそうなのであと2巻!もう楽しみすぎて待ちきれません!!

 

 

 

 

『赤毛のアン』~変わらない世界、けれど変わっていくもの~

いつも素敵な文章と美しい写真でわたしを夢見心地にさせてくださる、ブログ友の

Miyukey(id:Miyukey)さん。

アラフォーの主婦になった私が、古い親友に再会するように

16歳になったアンの日々をいま、読んでいます。

あの時に止まっていた時間が、一気に流れ出したみたい。

 

miyukey.hatenablog.com

 

今回ご紹介させていただいたこの記事には、うっとりと夢心地にさせられたのはもちろ

ん、「腹心の友を見つけた!わたしも『アン』について語りたい!」という気持ちも

むくむくとわいてきて。厚かましくも便乗させていただきました。

 

(いろいろ翻訳されていますが、やはりわたしも村岡花子さんの訳が好きです)

 

男の子が欲しかったマシュウとマリラの家に手違いでやってきた、赤毛でそばかす、や

せっぽちの孤児のアンがカナダの美しい自然の中で成長していく物語。

出版は1908年なのですでに100年以上も昔の本ですが、世界中で翻訳されて今なお数多

くの少女(と、元少女)の心をとらえて離さない魅力にあふれています。

 

わたしもアンと一緒に泣いたり笑ったり、美しいプリンスエドワード島の風景を思い描

いたり、ダイアナとの友情に憧れたり、ギルバートとのロマンスに胸をときめかせた

り…。夢のような時間を幾度すごしたことでしょう。いつ読んでも、何度読んでも、ペ

ージをめくればアンに会える。何年たっても変わらない、ロマンチックな世界をうっと

りと味わう至福のひと時。これはもう、Miyukeyさんに全面同意です。

 

アンが好きすぎるから続きは読まなくてもいい、いつまでも少女の気持ちでいたい、こ

の気持ちもわかります!

そうは言ってもわたしは先が知りたくなって続編も読んでしまったのですが、どれを読

んでも、何度読んでも、『アン』の世界は変わらない。美しい風景描写や心優しき人々

の暮らしぶりは決して色あせないどころかますます輝きを増すように感じられます。

けれど、感動するポイントは、読むたびに変わってきたように思います。

 

初めて読んだときは、とにかくアンのやることなすことが面白くて。

お気に入りの場所に名前をつけたり、木々や花々に話しかけたり、本棚に映る自分の姿

を友達にしたり。なんて面白い子だろう、一体次は何を思いつくんだろう、何を始める

んだろう?そんなワクワク感と、その期待を裏切らない滑稽なエピソードの数々がとて

も楽しく、時折みせる大人顔負けの活躍もカッコよくて憧れでした。

 

もう少しすると、実は理想を追い求める努力家で、失敗しても未来に希望を持っていつ

も前向きなアンの性格に惹かれるようになりました。時々暴走する想像力だって、別の

視点から物事をみることができたり、他の人の気持ちを思いやる力があるということ。

「明日は何一つ失敗しない新しい日」「道の曲がり角をまがった先には、きっといちば

んよいものがある」そんなアンの言葉に感銘を受け、迷ったときには背中を押してもら

ったこともありました。

 

そして大人になると、年齢的にマシュウやマリラの目線で読むようになったからなので

しょうか、

女の子は役にたたないから孤児院に返すというマリラに、

「わしらのほうであの子になにか役にたつかもしれんよ」

新潮文庫赤毛のアン』P55)

と言ったり、

あの子はわしらにとっては祝福だ。(中略)

神様の思し召しだ。あの子がわしらに入用だってことを神様はごらんになったから

だと思うよ。(新潮文庫赤毛のアン』P473)

とひとりつぶやくマシュウの姿に涙するようになりました。

アンはマシュウとマリラに出会えて人生が大きく変わったけれど、アンに出会うすべて

の人もアンの影響で大きく変わっていく。そして一番変わったのはマシュウとマリラ。

アンを救ったつもりがアンに救われた…そんな風に思うようになりました。

 

変わらない、けれど変わっていく「愛すべきなつかしき世界」。

次に訪ねるときには、どんな風景が見えるのでしょうか。

 

 

 

赤毛のアン』のシリーズは、少女から大人の女性になり、家庭を持ち、子供を育

て、というアンの半生を描いています。

 

ちょうど私が『赤毛のアン』を読み始めたころ、「世界名作劇場」で放映されていまし

た(1979年)。

アンとダイアナがイメージ通り!エピソードも原作にほぼ忠実なのがうれしいです。

 

1985年にはミーガン・フォーローズ主演で映画にもなりました。

エピソードには?と思う箇所もあるのですが、美しい風景と美しい音楽が醸し出す世界

感がとにかく素晴らしいです。 

 

プリンスエドワード島の風景やモンゴメリの生涯を通じて『アン』の世界を紹介してい

ます。

 

『アン』の世界をもっと深堀りしたい方にはおすすめ。

シェイクスピアやブラウニングなどの英文学との関連、人名に見る聖書との結びつき、

花言葉の秘密、作者の生い立ちや時代背景など、今まで知らなかったアンの世界が見え

てきて新たな感動に出会えます。

 

こちらは作者の生涯や時代背景をより深く解説しています。

 

モンゴメリの自伝的エッセイ。

『アン』を彷彿とさせるエピソードもありながら、アンとは違う一面を持ってい

る、複雑で繊細なモンゴメリの内面を伺い知ることができます。

 

 

 

うさぎ年の最後にうさぎのお話『ウォーターシップ・ダウンのウサギたち』

2023年ももうすぐ終わり。今年はうさぎのように軽やかにジャンプする年にしたいと思っていたのですが、現実は「軽やか」とは程遠い状況でした(涙)。一度はブログの継続を諦めて、読書記録のアプリに切り替えていたのです。これはこれでとっても便利。でも今まで出会った沢山の素敵な本たちへの熱い思いをしつこく長々と綴るには、やっぱりブログも捨てがたい…。そんなこんなで迷いながらも、ぼちぼちながらも、もう少しブログも続けてみることにしました。

 

さて、うさぎといえばこの二大キャラクターが真っ先に浮かびますが

 

 

(わたしの中では「ミッフィー」というよりは「うさこちゃん」なので、あえてこちらを)

 

どっちも大好きなので、語りだしたらきりがないですけれど、今年最後に語りたいうさぎのお話はこちら。

『ウォーターシップ・ダウンのウサギたち』 

リチャード・アダムス 神宮輝夫訳 評論社

1973年にカーネギー賞とガーディアン賞をダブル受賞、1978年にはアニメ映画化もされています(日本公開は1980年)。

 

平和に暮らしていたヘイズルは、弟ファイバーの予言に従い仲間とともに村を出て新天地を探すことに。外には危険がいっぱい。そんなときに出会った見慣れないうさぎたち…ヘイズルたちは安住の地を見つけられるのか?

 

作者アダムスが子どもに語って聞かせたお話がもとになっているそうです。イギリスの児童文学にはこういう成り立ちの話が多い(しかも名作が多い!)ですよね。

 

この物語のうさぎはとことんリアルな生態に基づいて描写されているので(当然服なんか着ていない)、擬人化されたふわふわうさちゃんの話しか読んだことのなかった中学生には非常に衝撃的でした。え、本物の野生のうさぎってこんななの?噛む?引き裂く?ええええ!…と。でもそのリアリティに圧倒されてページをめくる手が止まらなくなります。またその一方でうさぎの世界の神話伝承が所々に挿入されてくるのですが、そのファンタジー的側面がまた一層物語世界の「本物らしさ」を増してどんどん引き込まれていきます。それぞれのうさぎも個性豊かに描き分けられていて、あーピグウィグ好きだったわー、とここまでは昔読んだ時も思ったこと。

 

うさぎ年だから、という理由で40数年ぶり(!)に再読してみて感じたのは、「自由とは?生きるとは?」という大きな問いかけでした。

 

ヘイズルたちが旅の途中で出会ったうさぎの村は食べるものにも困らず、安全で文化的な暮らしをしています。また別のうさぎの村は非常によく管理されて栄えています。ではそこに暮らすうさぎたちは本当に幸せなのか?隠された真実から目を背けてかりそめの平和に満足していないか?現実のわたしたちの社会と照らし合わせて考え込んでしまいました。

また、新天地を見つけるのが本当のゴールではなかったということに再読して改めて気づきました(むしろそこには意外にあっさりと到着してる)。けれどそこでめでたしめでたし…にはならず、ではこの群れを今後も継続させていくにはどうしたらいいのか、どういう暮らし方が理想なのか、そのためには大きな犠牲もいとわない、というところまで話が続くところがとことんリアルだと思います。生きるとは命をつなぐこと、自分だけの命ではない、次の世代に平和な社会を残していかなくてはいけない。わたしも含めこんなシンプルなことを忘れてしまっている人間が多いのではないかと考えさせられました。

 

 

余談ですが、今回再読して、この話『冒険者たち』に似ていると思ったのです。小さな動物が旅に出て幾多の困難を乗り越える。特に思いがけない味方を得るあたりの展開がものすごく似ているなあと。なんと出版年まで同時(1972年)でびっくりしました。ちなみに『川の光』(2007年)もちょっと似ています(『川の光』についてもいつかしつこく熱く語りたい!)。

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