本棚に本があふれてる

読書の記録と本にまつわるあれこれ

『タイムライン』

 先日の記事に関連して、

 

zoee.hatenablog.com

 

ちょっと思い出して観返し(読み返し)た映画と本について。

これもタイムトラベル物です。どんだけ好きなんだかという感じですが。

 

タイムライン (字幕版)

タイムライン (字幕版)

  • 発売日: 2013/05/15
  • メディア: Prime Video
 

 

こちらは現代から14世紀のヨーロッパに時空を移動してしまうお話です。

 

 

 

好きな本は映像化してもらいたい半面、いざ映像化されると

「このシーンは原作と違う、このキャストはイメージに合わない」などいろいろ難癖を

つけてしまう面倒くさい私。

でもこれは、映画を先に見たこともあってか、両方の良いところを楽しめました。

 

 原作は、『ジュラシック・パーク』のマイケルクライトン

最先端の技術を駆使して不可能と思われていた時空移動を成し遂げた実業家がいて、

時期尚早では?という周りの懸念を押し切ってビジネスにしようとするのだけれども、

計画段階では完璧と思われていたプランに次々と想定外のアクシデントが起きて対応

しきれず、どんどんほころびが大きくなってついにはカタストロフィーに…。

「なんだか『ジュラシック・パーク』と似てるかも」という印象です。

 

時空移動の秘密は「量子テクノロジー」という技術で、特に原作ではかなり長くページ

数を割いて説明しています(理数系ダメダメの私にはよく理解できませんでしたが)。

また中世の描写も、言葉、風習、衣服、食べ物など多岐にわたって細かく表現されてい

ます。個人的にこのあたりの年代が好きなので、とても興味深く読みました。

 荒唐無稽なお話ではありますが、こういう細部の描写がきちんとしているので、ぐいぐ

い話に引き込まれてしまうのは、さすがマイケルクライトンだなぁと思います。

 

悪徳実業家に半分騙されるような形でタイムトラベルに送り出される登場人物たちに、

次々と襲い掛かる想定外の危機。

でもメインキャラは、「え、ここで一貫の終わり?」と思いきや、

自分の専門知識や運動能力を駆使して(あるいは持ち前の強運で?)次の章でピンチを

脱出…というパターンが何度か続き、それも『ジュラシック・パーク』と似ています。

原作だとこれでもかとピンチがつづくので、さすがに最後の方は

「主人公は死なず、のパターンね」と思わなくもないですが、スリルは満点です。

 

 

 一方、映画は上映時間の関係上か、もう少しテンポよく進みます。

登場人物を減らしたり、設定や人間関係を変えている箇所がありますが、

逆に頭に入りやすく違和感を感じませんでした。

終盤、戦闘が始まり、タイムリミットが刻々と迫ってくるのにまだメンバーがそろわな

い、このままでは帰れない…というところの緊迫感は映像ならではの迫力があります。

 

映画も原作もいちおうハッピーエンドで、悪役はきちんと報いを受けますが、

原作のほうがジワジワくる怖さがあります。

自分だったら、こんなところに取り残さずに一思いにとどめを刺してくれ!

と言いたくなる終わり方でした。

 

そして、最後に主人公の一人が下す判断。とても重い判断です。

映画の方がラブラブ感があって共感しやすく、冒頭の伏線回収にもなっていて

「おお!そういうことか!」と思えるので満足度は高いかも。

原作では、後に別の登場人物がその判断について、いくら自分で選んだことだとしても

苦労の連続だったのではないか、本当に幸せな人生を過ごせたのだろうか、と思いをは

せる描写があります。

この辺が『夏への扉』に出てきた、「もう一人いたかもしれないタイムトラベラー」と

重なるなあ…と思ったのでした。

 

もう一つ連想したのが中世つながりの『ガウェイン卿と緑の騎士』。

ほんのワンシーンですが、どの場面だったか気になる方がもしいたら、ぜひ原作を読ん

でみてくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おもしろうてやがて悲しき~『夏目友人帳』

今週のお題、「一気読みした漫画」といえばこれ。

 

 

存在を知ったのは数年前にアニメの再放送を見てからです。

まず子供が夢中になり「これお母さん絶対好きなやつだから!はまるから!」と

言われて見てみたら。おぬし、母の趣味をよくわかっておるな…。

その時点で20巻くらいまで出ていたので即大人買い、即一気読み。

今にして思えば、存在を知ったのが遅かったゆえに、

一気読みの醍醐味を味わえたとも言えますね。

 

小さい頃から時々変なものを見た。

他の人には見えないらしいそれらはおそらく

妖怪と呼ばれるものの類。 

(『夏目友人帳』 緑川ゆき 花とゆめCOMICS より)

 

妖が見えてしまう力を持った天涯孤独の少年夏目が、

祖母レイコの唯一の遺品である「友人帳」をめぐって

不思議な出来事の数々に巻き込まれ、その中で成長していく物語。

 

特殊な力を周囲に理解してもらえず、辛く淋しい思いをしてきた夏目ですが、

でもだからこそ弱いものには人一倍優しくてつい手を差し伸べてしまう。

とても繊細でまっすぐで、しかもイケメンで、ちょっとツンデレ

好きにならずにはいられない、少女まんが王道の「王子キャラ」ですよ!!

 

 妖怪というと恐ろしいもの、気味の悪いもの、と思ってしまいがち。

もちろん人を食う悪鬼のような妖や、

何かの形ですらない、雲のような霧のような悪意に満ちた妖も出てきますが

小鳥やウサギやねずみのような小動物系、

モフモフだったりお目目ぱっちりだったりのゆるキャラ系、

人の形をとっているもの、近寄りがたく気高く美しい神のような存在…

いたずらだったりお茶目だったり臆病だったり、

何か大事な任務を帯びていたり、大事なものを守り続けていたり、

業にしばられて、誰かに操られて、苦しんでいたり。

人間の善悪という分類には収まりきらない、様々な妖たちが登場します。

作者の想像力とそれを表現する画力もとても魅力的。

 

お互いに住む世界が違い、生きる時間も理も違い、

本来なら決して交わることのない妖と人。

それでも何かのきっかけで交わってしまったとき、

そこに生まれるのは憎悪?憐み?友情?愛情?

 

いろいろな妖と夏目(と夏目の周りの人たち)との関わり合いが、

時には恐ろしく、時にはコミカルに描かれて、

毎回ハラハラドキドキしたりクスッとさせられたり、

それでも最後はなぜか涙があふれて止まらなくなって、

でもその後で心が浄化されたようにポッと温かくなる気がするのです。

 

夏目はなぜ妖が見えるのか?

夏目の祖母レイコの過去とは?

夏目とニャンコ先生、名取、的場との関係は?など、

いくつもの謎が新たな謎を呼んでいきます。

全ての謎を明らかにしてほしいような、でもそうするとお話が終わってしまうから

いつまでも夏目と妖たちの世界を語り続けてほしいような、

ああ、でも人には「いつまでも」ってないんだよな…。

面白いけど、ちょっと切ない。そんなお話です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あかるい未来はきっとある~『夏への扉』

先日テレビをみていたら、

6月25日公開の『夏への扉ーキミのいる未来へー』の予告編が流れてきました。

原作はSF界の巨匠、ロバート・A・ハインラインの名作『夏への扉』。

SFにはまっていた中学時代に何度も読んだ、大好きな本です。

映画は舞台を日本に移し、時代設定もずらしているとのことで、

原作ファンとしては観たいような観たくないような。

いつものことですが、自分の(勝手な)イメージと違っていたらどうしよう、

と思っていたのですけど、あら、これはこれで面白いかも。

山崎賢人、清原果耶、藤木直人(まさかのロボット役!気になります…)など、

好きな俳優さんも沢山出てますし、観に行ってみようかしら、と思っています。

 

 

 

 

 でもまずは原作について。

 数あるハインラインの著作の中でも、特に日本で大人気の作品なのだそうです。

  

 

 

 

 

 

ぼくの飼い猫のピートは、冬になるときまって「夏への扉」を探しはじめる。

家にあるドアのどれかひとつが、夏に通じていると固く信じているのだ。

そして1970年12月、ぼくもまた「夏への扉」を探していた。

親友と愛人に裏切られ、技術者の命である発明までだましとられてしまったからだ。

さらに、冷凍睡眠で30年後の2000年へと送りこまれたぼくは、

失ったものを取り戻すことができるのか…

(『夏への扉』〔新版〕 ロバート・A・ハインライン 福島正実訳 より)

 

表紙からもわかるとおり、猫のピートがメインキャストの一人(匹)です。

犬派のわたしも、ダニーとピートのやりとりには萌えました。

猫好きな方にはたまらないことでしょう。

 

わたしはこの福島正実訳で読んだので個人的にはなじみがあり、

「文化女中器(ハイヤード・ガール)」なんて表記も懐かしいです。

 

 

小尾芙佐による新訳も出ているので読んでみました。

技術的な用語の訳がこなれていてわかりやすく、「猫語」もいいです。

 

 

 

でも、あくまで個人的な好みですが、

11章終わり近くのリッキィの「もしそうしたら…あたしを…」の問いと

それに対するダニーの答え、

それと最終章の結びの一文はやっぱり福島正実の訳が好き。

何度読んでもグッときます。

 

 

さて、30年後(西暦2000年)に目覚めたダニーが未来の社会

(わたしたちにとっては既に過去ですが)にとまどう描写。

数年ぶりに読み直してみると、改めてハインラインの未来予想の正確さに驚きます。

出版当時の1956年は言うまでもなく、

わたしが初めて読んだ1980年代初頭でも、

まだ空想上の夢物語だったと思われる発明の数々が

(実際には研究開発していたり実現していたものもあったのかもしれませんが、

当時のわたしの生活には全く縁がなく、想像もつかないものだったという意味です)

いつの間にか現実となり、当たり前に使ったりもしているではありませんか!

40年前に読んでいた時は、ハイヤード・ガールが掃除機というには優秀すぎて

「こんな夢みたいな機械、できるのかなあ」と思っていたものです。なにしろ

掃除機といえば重たいキャニスター型で、紙パック式ですらなかった時代のこと。

でも、今読むと、ハイヤード・ガールってルンバですよね!

 他にも、あ、これはタッチパネル/電子辞書/PC/CAD/大豆ミート?/アレクサ!

と思いながら読める楽しさは、時代が追い付いた今だからこそのものでした。

これで風邪さえ撲滅されていればね…。

 

 

 

21世紀での生活にも慣れてきたある日、ダニーは

「自分が発明したことになっているのに発明した記憶がない」設計図を見つけます。

なぜ?

ここからタイムトラベルの話が展開していきます。

 きっとここら辺がSF的には一番の見せ場というか山場なのだとは思うのですが、

残念ながら理数系の苦手なわたしにはちょっと理解しきれない部分もちらほらと。

それでも、科学オンチの人が読んでもちゃんと面白いのがまた凄いところ。

特に、タイムトラベルと「ある歴史上の超有名人」が絡んでくる面白さといったら!

その人物の一生が謎めいていることも相まって、なんだかとても説得力があり、

「いや、ありえるよね?ほんとにそうだったりして!?」

とドキドキしてしまうこと間違いないです。

 

なんとか1970年に戻ったダニーは、未来で得た知識を利用して、

今度こそうまく「2度目の」2000年を迎えようといろいろ画策します。

今までの出来事は全てこのためにあったのか、

この会話にはこういう意味があったのか、

と、ハインラインが張り巡らした伏線の巧みさにまたまた驚かされます。

そして再び冷凍睡眠で21世紀に「帰った」ダニーを待っていたのは…?

 

SFの巨匠ハインラインは、ストーリーテラーの巨匠でもあると実感できます。

明るい未来を予想させる爽やかな終わり方、最初にも述べた結びの一文は感動的です。

 

 

 

ただ、

昔読んだ時は、素直に明るい未来に夢を抱けていたのですが(若かったしね)

実際に21世紀を生きている人間としてこの本を読むとやや複雑な心境にも

なりました。

現在わたしたちは、ハインラインが描いたような科学技術の発展した社会、

便利で清潔で快適な社会に暮らしてはいますが、

未来は、いずれにしろ過去にまさる。誰がなんといおうと、

世界は日に日に良くなりつつあるのだ。

と心から実感できているだろうか…むしろ先行き不透明な不安を感じていたり

しないだろうか…と。

 

それでも、未来をどのようなものにするかはわたしたち次第なわけで、

夏への扉はきっとある、と信じることがまず大切なのでしょうね。

 

  

 

ちなみに、小説のイメージを曲にした

吉田美奈子作詞、山下達郎作曲・編曲の『夏への扉(THE DOOR INTO SUMMER)』

RIDE ON TIMEに収録されています)も是非聴いていただきたいです。

聴きながら読んで、小説の世界に浸っていたものでした…。

 

ライド・オン・タイム

ライド・オン・タイム

Amazon

 

 

 

 

 

大人になって忘れるもの、忘れないもの~『とぶ船』

わたしの大好きなタイムファンタジーをもう一つ。

 

『とぶ船』

ヒルダ・ルイス作 石井桃子訳 岩波書店

 

とぶ船〈上〉 (岩波少年文庫)

とぶ船〈上〉 (岩波少年文庫)

 

 

 

とぶ船〈下〉 (岩波少年文庫)

とぶ船〈下〉 (岩波少年文庫)

 

 

1939年(日本語初訳は1953年)の出版ですが古さを感じない名作だと思います。

4人きょうだいの不思議な冒険の旅、というと『ナルニア国物語』が有名ですが、

こちらも本当に面白く、『ナルニア』に負けないくらい大好きなお話です。

 

 4人きょうだいの長男ピーターは、ある日初めて一人で歯医者に行き、

その帰り道に寄ったふしぎなお店で

金のイノシシの飾りのついた小さな船を見つけます。

ひとめぼれしてしまったピーターは、店主に言われるままに

「今持っているお金ぜんぶと、それからもうすこし」を払って

船を手に入れましたが、実はこの船には秘密があって…。

 

 

この4人のきょうだいがとてもいい子たちなんです。

リーダーとしてきょうだいをまとめるしっかり者のピーター、

知的で冷静なシーラ、

歴史や地理に詳しいハンフリー、

食いしん坊で人懐っこいサンディー。個性もそれぞれ生き生きと描かれます。

 

自分が手にいれた船がただのおもちゃではなくて魔法の船だと気づいたピーターは、

持ち主に返さなくてはならないと思ってきょうだいと一緒に店を探しに戻ります。

店が見つからなくて一瞬嬉しくなってしまった自分を恥じ、

「見つけたくないと思ってるから、見つからないんだ。

一生けんめい、やらないからなんだ」というピーター。

そしてその気持ちを汲んで、暗くなるまで一緒に探すきょうだいたち、

そして最後に「あなたはその船をもってていいんだと思うわ」というシーラ。

なんて正直で、仲が良くて、優しくて、賢いんでしょう!

 

 

さて、船を持っていていいということになって、まずどこに行くのかというと

「入院しているお母さんのところ」。

子どもたちは船に乗って、夜中にこっそり病院を訪ねます。

となりのトトロ』の終盤、サツキとメイがネコバスに乗って病院を訪ねるシーンは

この場面のオマージュかもしれませんね。

子ども達の訪問を証明するものとして、トウモロコシバラの花が残されるあたりも

そっくりです。

 

夕ご飯の時間、いつもならにっこり笑って「何を食べたい?」と聞いてくれるお母さん

がいない…。

お母さんに会いたい。会って元気にしてるよ、大丈夫だよ、と伝えたい、

という子どもたちのさみしさと母を思う優しさが胸にしみます。

また、子どもを置いて急に入院しなくてはならないお母さんの辛さとか、

子ども相手にどこまで病状を説明したらよいのやらと悩むお父さんの気持ちとか、

同じく小さな子を置いて入院した経験のある者には今読むと色々身につまされます。

 

夕ご飯がね、また素敵なんですよ。こんなごはん(日本の感覚から言うととても

おやつっぽいのですが)食べたいなぁとすごく憧れました。

 

 

 

 

子どもたちはこの後、船の秘密を知ることになります。

普段はポケットサイズで気軽に持ち運べ、

いざとなればほんの少しの隙間もくぐり抜けられるくらいに小さくなるかと思えば、

一人のりサイズから大軍隊を丸ごと載せられるくらいにまで大きさは自由自在。

持ち主の要望に応えて現在と過去のあらゆる場所にピンポイントで移動

(しかも自動操縦)、

イノシシの頭をなでればその時代と場所に合わせて服装が変わり、言葉も通じる、

ドラえもんひみつ道具も真っ青な優れもの。

こんなすごい船、いったいどこの船だと思いますか…? ぜひ読んで確かめて下さい。

 そして、ピーターがいまの正当な持ち主であることも示されます。

「この子が自分からそれを手放す日がくるまで、この船はこの子のものだ」

「おまえが、この船を正当な持ち主にかえすとき、

おまえの心からの望みをかなえてやろう」

帰り際に告げられる、この言葉があとあと意味を持ってきます。

 

 

子どもたちは色々な場所を訪れますが、どのエピソードも

歴史上の事実とフィクションがが巧みに織り交ぜられて、

どんどん読み進めたくなる面白さです。

  

エジプトにピラミッドを見に行った時に出会う二コールズ博士は、

ツタンカーメンの呪い」で有名な考古学者のハワード・カーターを連想させます。

さらにはそこで「石棺に刻まれた謎の船」の話を聞いて今度は古代のエジプトに行き、

王国の危機を救う、というまさかのSF的な展開に…。

 

 11世紀のイギリスではマチルダというお姫様に出会います。

危ういところを脱した子どもたちは後日マチルダを自分たちの世界に招待します。

そのマチルダが手掛ける刺繍は、ノルマン朝を開いたウィリアム1世の妃マチルダ女王

の「バイユーのタペストリー」を連想させて…。

 

もう一度イギリスに行った時はなんとロビンフッドと一緒に大活躍!

ここでの冒険は本当にハラハラドキドキします。自分の過ちを命がけで償おうとする

ハンフリーがとても男らしいし、後日談もほのぼのとした余韻があります。

 

 手に汗にぎる冒険の数々ですが、

子どもたち自身には魔法の力などはなく、ピンチの時も

基本的にきょうだい4人で知恵を絞って危機を切り抜けたり、

彼ら自身の性格の良さだとか勇気によって協力者を得るところが

とてもリアルで親近感を持ちます。

 

個人的にはマチルダ姫のエピソードが大好きです。

昔読んだときには、特に最初の出会いの場面はツンツンしてお高くとまった子だなぁと

良い印象を持たなかったのですが、改めて読むと印象が変わりました。

勇敢で正義感にあふれ、自分のできることを精一杯頑張る凛々しいお姫様です。

チルダは、子どもたちの生きる世界は素晴らしいと認めつつも、

「わたしは、わたしの時代の中で、わたしらしく生きていかなければなりません」と、

毅然として自分の世界に戻っていきます。ハンフリーが惹かれるのもわかります…。

二人の別れのシーンはキュンキュンしますよ。

 

作者は、時代や立場の違いを超えた出会いを経験する子どもたちの姿を通して、

人に必要なものはいつの時代もそんなには変わらない、

大切なのは自分を信じて困難に立ち向かう勇気だったり、困った人に手を差し伸べる

優しさだったり、互いを思いやり理解しようとする気持ちなのだということを伝えよう

としたのではないかと思います。

 

 

これらのエピソード以外にも、古今東西いろいろな場所に行ったことになっていますが

残念ながらすべての詳細は語られません。

もともとは作者が息子さんに話して聞かせた物語を本にしたということなので、

歴史や地理の勉強の意味合いもあったのでしょうか。

読者としてはすべてのエピソードを知りたいところなのですが、

もしかしたら本にならなかっただけで、息子さんにはもっともっとピーターたちの

冒険を語っていたのかもしれませんね。

 

 

子どもたちの冒険は5年間続き…

ピーター以外の子どもたちは、魔法を信じなくなってしまいます。

お話の上手なピーターが、まるで本当の事のように聞かせてくれた物語だと思ってしま

うのです。

(ここも『ナルニア国物語』と一緒ですね。大人になったスーザンは、ナルニアの存在

を信じなくなってしまいました。)

 

  

魔法は、信じなければ、きえてしまうのです。

 

ピーターだけは魔法を信じていたのですが、いつかは自分も信じられなくなるかも

しれない、その前に約束を守って船を返さなければならないと決心します。

自分はいつまでも信じていられる、と思わないところがすでに大人な発想で、

これが成長するということなのか…と本当に切ないです。

 

 

再び出会った老人の正体は!?

始めて読んだ時に「えー!!」とびっくりしたのですが、

読むたびに新たな感動を覚えます。

 

そして、 船を返したピーターが暗い海にお金を投げるシーン。

少年時代との決別を描いた場面としてとても印象に残っています。

 

物語の終わり方が、船での冒険が後の子どもたちの生き方に影響していると思わせて

とてもあたたかく大好きです。

魔法は忘れて船を手放してしまったけれど、自分が好きなこと、大切に思うことは

手放さずに生きてきた結果、それぞれ満ち足りた生活を送っている。

約束通り、心からの望みはかなえられたといえるのではないでしょうか。

だから、やはり、魔法は、たしかにあったのでしょうね。

 

 

 

 

 

 

音の森を歩く~『羊と鋼の森』

2016年に本屋大賞を受賞、2018年に映画化もされた『羊と鋼の森』。

 

 

わたしは単行本で読みましたが、 すでに文庫版が出てました。

 

 

本はだいぶ前に読んだのですが、映画の方も先日Amazonプライムで観たので、

併せて感想を書きたいと思います。

 

羊と鋼の森

羊と鋼の森

  • 発売日: 2018/11/05
  • メディア: Prime Video
 

 

 

 「読んでから観るか、観てから読むか」と聞かれたら、

わたしは断然「読んでから」派。

予め話の筋を把握しておきたいのと、

自分の中で物語のイメージを膨らませたり、キャスティングなどを考えてから観て、

自分のイメージと映像表現との違いを楽しむのが好きです。

 

 

 ~♪~♪~♪~ まずは本の感想から~♪~♪~♪~

 

主人公の外村は、ある日学校で偶然ピアノの調律場面に立ち会い、

その時聴いたピアノの音に惹きつけられます。

冒頭のこの描写が美しく、いきなり作中に引き込まれます。

 

 森の匂いがした。秋の、夜に近い時間の森。

風が木々を揺らし、ざわざわと葉のなる音がする。

夜になりかける時間の、森の匂い。

 

秋といっても九月、九月は上旬。夜といってもまだ入り口の、湿度の低い、

晴れた夕方の午後六時頃。(中略)静かで、あたたかな、深さを含んだ音。

 

 

音楽について語る場合、まず問題になるのが「音を文字でどう表現するのか」。

とても難しいことだと思いますが、

作者は静謐な森の中にいるような静かな語り口で、

数々のロマンチックな表現を駆使して音の美しさを伝えてくれます。

 冒頭の「森の匂い」もそうですが、他にも、

 

銀色に澄んだ森に、道が伸びていくような音。そのずっと奥で、

若いエゾシカが跳ねるのが見えた気がした。

「透き通った、水しぶきみたいな音でしたね」

 

 和音の奏でる音楽が、目の前に風景を連れてくる。

朝露に濡れた木々の間から光が差す。

葉っぱの先で水の玉が光って零れる。何度も繰り返す、朝。

生まれたての瑞々しさと、凛々しさ。

 

心が洗われるような美しい描写にイメージがどんどん膨らみます。

 登場人物の一人が、理想の音として、原民喜の目指す文体を挙げているのですが、

「明るく静かに澄んで懐かしい文体、

少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、

夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」

それはそのまま作者の目指す文体なのだろうと思います。

 また、一年間北海道に住んだ経験がこの本に生かされているとのこと。

なるほど、だから「夜になりかける時間の森の匂い」「銀色の森にエゾシカが跳ねる」

などという表現が生まれたんだな、と腑に落ちました。

 

   

さて、ピアノの音色に衝撃を受けた外村は、

それまで存在さえ知らなかった、ピアノの調律師になることを決意します。

 雷にうたれたような、天啓が下ったような、運命的な出会い。

厳しい道なのかもしれないけれど、「これからどこまででも歩いていけると思った」、

そんな風に自分の進む道を選べる人ってとても羨ましい。

 きっと作者もそういう運命的な出会いをした人の一人で、そうでなければ

子育てしながら(しかも3人目のお子さんを妊娠中に)文章を書き始めるなんて

できないだろうな…と思います。

  

   ピアノに出会うまで、美しいものに気づかずにいた。

知らなかった、というのとは少し違う。僕はたくさん知っていた。

ただ、知っていることに気づかずにいたのだ。

 

ピアノという媒体を得て、外村は自分の周りの美しいものに目覚めていきます。

眠っていたさなぎが蝶になるような、蕾が膨らんで花開くような。

美しいものをとらえようと努力を重ねて、次第に覚醒していく姿がまぶしいです。

けれど今まで音楽とは無縁だった外村は今一つ自分に自信が持てなくて、

自分には音楽の才能がないのではないか、向いていないのではないかと悩みます。

 そんな外村に先輩の柳さんが言う言葉がとても温かです。

 

「才能っていうのは、ものすごく好きだっていう気持ちなんじゃないか。

どんなことがあっても、そこから離れられない執念とか、闘志とか、

そういうものと似てる何か」

 

柳さんの言葉は、外村の周囲の人たちにも当てはまります。

双子の姉妹和音と由仁を襲った試練や、先輩の秋野さんの挫折を知ると、

どんなに好きでも、才能があっても、努力をしても、報われないこともあるという

残酷な現実に打ちのめされる思いがします。

それでも、やっぱり音楽から、ピアノから、離れることができなくて、それぞれの

道を選び取る姿は清々しく力強さに溢れています。

 

振り返ってみて、わたしの「ものすごく好きなもの」

「どんなことがあっても離れられないもの」って何だろう?

と思わずにはいられませんでした。

好きなもの、趣味としてずっと続けていきたいものはあるけれど、

それを職業として選ぼうとは思いませんでした。

好きなことで生きていくってきっととても楽しいだろうし

ものすごい喜びや充足感を得られるのだろうけれど、

それに劣らず葛藤や挫折や辛いこともあるだろうと思うと、

決心がつかなかった、というか逃げたというか。

でも、何があっても、「努力をしているとも思わずに努力」できなかった時点で、

それは柳さん的にいうと「才能がなかった」ということなのでしょうね。

「天才とは1パーセントのひらめきと99パーセントの努力である」とか

「努力するのも才能のうち」と、昔からいいますものね。

そう考えるとちょっとへこみますが、でもだからこそ、

登場人物たちの真摯な生き方に感動し、エールを送りたいと思いました。

 

 

     

 

 

~♪~♪~♪~ ここからは映画の感想~♪~♪~♪~

 

主役の山崎賢人は、山育ちの純朴な少年というにはキラキラオーラが出まくっていまし

たが、まっすぐ見つめる綺麗な瞳がとても印象的。

控えめな中にもぶれない芯を持ち、

不器用ながらも懸命に努力する主人公を好演していたと思います。

 

和音と由仁を演じた上白石姉妹は、連弾するときなどの息の合った感じはさすが姉妹!

他にも 鈴木亮平光石研など、演技上手な俳優陣が脇を固めて安心感がありました。

吉行和子は、セリフがほとんどなくただ居るだけなのに圧倒的な存在感が素晴らしい。

 

 

原作の音の表現はとても美しいし、そこから自分なりのイメージを膨らませていく

作業もとても楽しかったけれど、

実際に音を聴いてみて「そうそう、こういう音だよね!」と納得したり、

「この音は?」と自分のイメージとの違いを見つけるのもまた楽しかったです。

音だけでなく映像も併せての表現で更に感動が深まった場面もありました。

中でも、森永悠希演じる引きこもりの少年が「子犬のワルツ」を弾くシーンが

ものすごく良かったと思いました。

本でも感動的な場面だったけれど、個人的に映画ではこのシーンが一番好き。

最初おずおずと、たどたどしい弾き方から、次第に感情があふれ出してきて、

姿勢とか指運びとかタッチとか、ピアノの弾き方がどんどん変わってくるところが

とても上手だったし、

挿入される回想(これは映画オリジナルの解釈)にも泣かされました。

音楽に救われる少年の心情が良くあらわされていたと思います。

 

 外村が森の中で「自分の周りにあふれている音楽」を体感するシーンも印象的。

木々の間に差す光、様々な緑色の重なり合い、木々のざわめき、風の音…。

視覚と聴覚両方で迫ってくる「音」に息をのむ思いがしました。

 

また、和音の奏でる音を「水」で表現するシーンも映像ならではで、

水面の揺らぎ、ころがる水玉、そして「新しく生まれ変わる和音」を表現した

水中シーンには圧倒されました。

 

一方、せっかく視覚的に表現できるのに残念だったなと思ったのは、

「ピアノの置き場所」。

和音の家を始め、調律先の家はどれも広々としてインテリアもとても素敵で

目の保養になりましたが、原作通りに、マンションの一室や、小さな家にひっそり

(なかば無理やり)置いてあるピアノで自分なりの音楽を楽しむ人たちと、

コンサート会場のプロのピアニストの華やかな演奏との対比が視覚的にもあれば、

「ホールで沢山の人が聴くピアノと、家で弾くピアノ。

どっちがいいか、どっちがすぐれているか、そういう問題じゃない。

どちらも誰かのかけがえのない物になる可能性がある」

という外村のセリフがもっと生きるのではないかな…と思いました。

 

 

~♪~♪~♪~最後に…~♪~♪~♪~

 

本作品ではピアノの音色を通して表現される「美しいもの」ですが、

森の木々、列車の音、鳥のさえずり、水のきらめき、雪景色、夕焼け空、

雪の積もった夜の「しん」という音が聞こえてきそうな静けさ。

笑顔、泣き顔、相手を信じ、思いやり、寄り添う心…。

文章から、映像から、音から、沢山の美しいものに気づかされました。

自分の身近にある、自分の中にある「美しいもの」を見つけられる感受性を養って

いきたいと思いました。

 

雨の日に読む本~『バムとケロのにちようび』

今週のお題「雨の日の過ごし方」といえば、ありがちですが読書や映画鑑賞。

たまってしまったドラマの録画を一気に見たり、

家事は最低限にして、映画(アニメ)を観ながらその原作本を読む、

なんてオタクな行動に耽るのも、時間がたっぷりある雨の日の楽しみです。

 

でも、子どもが小さかったころは、雨の日はいつもより一層忙しく大変でした。

外で遊べない子どもは退屈だとまとわりついてくるし、走り回るし、喧嘩はするし、

部屋は散らかすし、洗濯物が乾かないのに汚れ物は増えるばかり…。

 

 そんなころに子どもと読んだこの絵本。

雨の日のバタバタをユーモラスに描いています。

 

 

バムとケロのにちようび

バムとケロのにちようび

  • 作者:島田 ゆか
  • 発売日: 1994/09/01
  • メディア: 大型本
 

 

雨降りの日曜日、外で遊べないから家で本を読もうと思ったバムは、

その前に散らかった部屋を片付けようと掃除を始めます(えらい)。

やっと掃除が終わって、さあ次はおやつを作ろう、とはりきるバムの前に現れたのは

どろんこぐちゃぐちゃのケロ!!

バムはいつになったら本が読めるのでしょうか… ?

 

親子のような友達のような不思議な関係のバムとケロのシリーズ第一作です。

まじめなバムと自由人のケロの対比が面白く、ユニークな登場人物や

細部まで描きこまれた絵も可愛くて読むたびに発見があり、

隅々まで見たくなる絵本です。

 

 

この、ケロが現れる場面の破壊力といったら。

ついさっき綺麗に掃除した床や壁に滴る泥のしずく。床の水たまり。

全身泥まみれなのになぜか誇らしげなケロの顔。

夫はこの場面を見て「血みどろ」と言いましたが、その後の修羅場を想像したら確かに

そうかもしれません。

もうね、親ならバムの気持ちがよくわかります。その場に倒れこみたくなる感じ。

でも、子どもに一番ウケるのもこの場面なんですよね…。

 

わたしなら子どもがケロみたいなことをしたら、怒り狂ってしまいそうですが

バムは「せっかく すっかり きれいにしたのに」となげきつつも

ケロをお風呂にいれてやり、汚れた部屋も元通りに掃除して

「こんどこそ おいしい おやつをつくろう」と、台所が汚れるのも構わずに、

ケロと一緒におやつを作ります。それもものすごい量の(ここも子ども大喜び)。

ケロのしたことにも動じず、手間暇惜しまず体を動かし、

二人で楽しく過ごす時間を大切にするバムが素敵です。

 

雨の日が続くと、わたしと子ども、どちらからともなく

「バムケロちゃんの本読もうか!」と本棚から取り出していた日々が懐かしいです。

 

 

 

 

バムとケロのなかまたち(既7巻セット)

バムとケロのなかまたち(既7巻セット)

  • 作者:島田ゆか
  • 発売日: 2011/04/01
  • メディア: 単行本
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時空を超えて惹かれ合う魂~『トムは真夜中の庭で』

外に出るのが気持ちのよい季節になりましたが、

圧倒的に家にいる時間が長い今日この頃です。

わたしは基本的にインドア派なのであまり苦になりませんが、

子ども達はやっぱり外に出て、思いっきり友達と遊びたいだろうと思います。

 

ということで今回の本は、

病気のせいで出かけられなくて友達と遊べなくてつまらない。

現代のコロナ禍と同じような状況に置かれてしまった男の子の不思議なお話。

1958年にカーネギー賞を受賞した、イギリス児童文学の古典です。

  

 

トムは真夜中の庭で (岩波少年文庫 (041))

トムは真夜中の庭で (岩波少年文庫 (041))

 

 

 

 

 主人公のトムは、弟のピーターがはしかにかかってしまったので、

隔離のため、古いお屋敷を改造したアパートに住む叔母さんの家に預けられます。

ところがある晩、広間の大時計が13時を打って…。

 

 

イギリスの児童文学でよく舞台となる「古いお屋敷」。

これだけで、きっと面白い話だと思ってわくわくしませんか?

今思いついただけでも、『秘密の花園』『時の旅人』『ナルニア国物語

『グリーン・ノウの子どもたち』『床下の小人たち』など、名作揃い。

何年も年を経たお屋敷にはやはり何か秘密があるのでしょうね。

 

 

子どものいない叔母さん夫婦の家で、トムは退屈で仕方がありません。

遊び相手はいないし、叔母さん夫婦は良い人だけれど、子どもの気持ちには疎い様子。

せっかくの夏休みなのに、「ちょっと我慢」とか「ほんの数週間」と言われても、

育ち盛りのやんちゃな男の子にとっては永遠にも等しい時間です。

テレビゲームもインターネットもない時代、どう時間をつぶしたらいいのやら。

そんなときに大時計が13時を打つ音が聞こえたら?

これは確かめないわけにはいかないでしょう。

 

忍び足で階段を降り、裏口のドアを思い切って開けると。

そこには昼間の侘しい裏庭とは全く違う広い美しい庭園があり、

屋敷には昼間とは違う人々が暮らしていました。

トムは屋敷の住民の一人、ハティと知り合って…。

 

  ドアを開けたら別世界、というところまで読み進めると、

あ、これはいわゆるタイムトラベル物?それともトムが夢を見ているのかな?

と読者は思うのですが、当事者のトムだってもちろんあれこれ考えます。

このあたりの思考の流れや行動がいかにも男の子らしくほほえましいです。

これは夢なのかもしれないけど、こんな綺麗な場所、探検してみなきゃ帰れない、

あとでピーターに全部話してやろう、とか

みんな幽霊なのかもしれないけど、

危なくはなさそうだし楽しいからまあいいか、とか。

夜ベッドを抜け出す時に、締め出されないようにドアにスリッパを挟んでいく、とか。

(スリッパがそのままなら誰にも見つかっていないという証拠になるというわけ)。

ハティの服になんとなく違和感を感じる理由がわからず、百科事典で調べてみる、

とか(女の子なら、古めかしいファッションだと真っ先に気づきそうなものです)。

 

 ハティが昔の時代の人だとわかっても、トムはその後も夜な夜なベッドを抜け出し、

庭を訪ねてハティとの友情を育んでいきます。

一人でさみしいのはトムだけでなく、

ハティもまた、両親を亡くして預けられた親戚の家でのけ者にされ、

孤独な日々を過ごしていたのでした。

 

筆者の育った家がモデルだという庭園はとても細かく描写されていて、

美しさが目に浮かぶようです。こんな庭ならトムでなくても行きたくなります。

木の中におままごとの家を作るとか、

真冬の凍りついた川をスケートで滑っていく、といった遊びは

きっと作者の体験なのでしょうけれど、すごく素敵で憧れます。

 

  それでもまだなぜトムがハティに会いにいけるのかは謎のまま。

また、行くのはいつも真夜中なのに、行くたびに庭では時間も季節も、時代も

違っていて、ある時は幼いハティなのに、またある時は大人の女性だったり。

 それに、どんなに長い時間庭で遊んでいたと思っても、アパートに戻ってみると

まだ夜のままなのです。

 

この話はトムの夢なのか、それとも大時計に何か魔法とか仕掛けがあるのか、

だんだん怖くなったきたところで(だってトムの姿はハティ(と園丁のアベル)にしか

見えないままだし、ハティはどんどん成長していってしまうし)、

ついにハティにもトムの姿が見えなくなってしまう日が。

 

「去る者は日日に疎し」英語だと”Out of sight, out of mind”

と言いますが、まさにこの逆 ”Out of mind、out of sight” で、

大人になったハティは恋人とのデートの方が楽しくなってしまい、トムへの

気持ちが離れてしまったので、文字通り姿が見えなくなってしまうのです。

この場面、ほんとに怖かったです。トムはどうなっちゃうの!?と。

ただ、逆にここまで読んで初めて、

園丁のアベルにトムの姿が見えるわけがわかったように思いました。

あのお屋敷の人たちのなかで、アベルは唯一ハティのことを気にかけていた人物だった

ということなのではないかしら。

 

ハティには恋人ができ、もう見捨てられた小さな女の子ではなくなりました。

トムの夏休みも終わりに近づき、もうすぐ家族の元に帰れそうです。

それでもトムはまだ、あの庭園と、ハティと過ごす時間を諦めきれません。

庭園に魅入られるあまり、ほんとうの自分の居るべき場所がどこなのか

わからなくなってしまったのでは、という危うさを感じずにいられなくなってきます。

「もう潮時でしょ、いい加減にハティに会うのはやめようよ」と

トムに言いたくなります。

 

危うい予感は的中。 トムはとうとう、 

「庭園にあるものをみんな見て、なにもかもやってみたあとでなければ、かえらない

んだ」(『トムは真夜中の庭で』 岩波少年文庫 271ページ) 

と決心して、裏口のドアを開けるのですが…。

 

きゃー、何が起こったの!?と

読者もトムと一緒にパニックに陥りますが、

最後に「ああ、そうだったのか!」とすべてが明かされます。

 

 

  最初に裏口のドアを開けたときから最後までずっと、

わたしも一緒にドキドキしながら、トムの後ろについてドアの向こう側の世界を

旅してきたように感じられました。

先の展開の読めないミステリアスな怖さ、最後の種明かしと伏線回収の巧みさに

引き込まれたお話でした。