本棚に本があふれてる

読書の記録と本にまつわるあれこれ

『コロボックルの世界へ』

佐藤さとるの生み出した愛すべきキャラクター「コロボックル」。

身長わずか3センチ、可愛らしい見た目ながら動きは敏捷、靴の船を巧みに操り、カエ

ルに変装し、好奇心が旺盛で勇敢で、器用で賢くて仲間思い。

こんなコロボックルの住む世界を今まで知らなかった人は、夢中になること間違いな

し。ずっと昔から知っていた人も新たな発見があることでしょう。

 

 

ページを開くといきなり村上勉さんの描く物語のワンシーンが広がって、

またコロボックルに会えた、と嬉しくてわくわくしてきます。

さらにページをめくれば、空から見た小山のある街の眺め。

読者を小さな国へといざないます。

つづいて第一章と第二章でも挿絵をふんだんに使って、コロボックルの暮らしぶりや

社会のしくみ、物語に登場するコロボックルたちが紹介され、『コロボックル物語』の

ダイジェストを通じてコロボックルと人間との関わりが語られます。

こうしてまとめられると、各巻のストーリーの面白さはもちろんですが、全シリーズ通

して登場人物のキャラクター設定や彼らの暮らす世界が、時間の経過や歴史的背景まで

含めて細部まで破綻なく創りあげられていることに圧倒されます。『指輪物語』のよう

な完璧な世界観、しかも異世界ではなく現代の日本社会を舞台にしているのに全く違和

感がありません。これこそが、『コロボックル物語』の最大の魅力だと思います。

小さな国のつづきの話』で、ヒコ老人は

「知られたくないことは、あくまでもあかさない。しかし、教えてもいいことは、そっ

くりそのまま書く。ほんとうのことを、まるで作り話のように書くんじゃ」

と言います。佐藤さとるはあくまで「聞いた話を本にしただけ」という設定なのです

が、「作り話を、まるでほんとうのことのように」信じてしまうリアリティが『コロボ

ックル物語』にはあるのです。

コロボックルの世界を「見てきたように」描き出す村上勉さんの挿絵の力も忘れること

はできません。コロボックルの姿かたちはもちろん、鏡台の引き出しを使ったコロボッ

クルの部屋や地下の町の描写や、道具類(マメイヌのわな!)など、写生してきたとし

か思えないです。

 

では、わたしたちを虜にするこのコロボックルはどうやって生まれたのでしょうか?

第三章、第四章では、作品の「あとがき」や作者へのインタビューを通じて物語の背景

や物語に秘めた作者の思いが語られます。

 

佐藤さとるは幼少期を過ごした横須賀の「按針塚」で思う存分外遊びをする一方で、

童話に親しみ、主人公たちが野山に隠れ住んで活躍しているのを想像するようになりま

した。最初は漫画家を志し、雑誌に載っていた初山滋の絵のサインをもとにした「チッ

チャイ人」を主人公にしようと思います。

やがて自分で長い童話を書きたいと思うようになり、夏目漱石の俳句「菫程な小さき人

に生まれたし」からインスピレーションを得て妖精のような小人「クリクル」を生み出

し、いくつかの作品を書きました。

そして、戦争で何もかも変わってしまったと思っていたのに、戦後久しぶりに訪れた按

針塚が昔のままだったことに感銘を受け、按針塚を舞台にして物語を書きはじめます。

しかし日本の童話には妖精はしっくりこないと思い始め、今度は虫を主人公にしようと

思いつきます。子どものころに虫取りに熱中したことや、後に妻となる女性が子どもの

ころに「おこり虫」と呼ばれていたと聞いたのがきっかけでした。その時は、虫の話は

現実の世界の話の中に挿入される「話中話」という形でした(この話がのちに『てのひ

ら島はどこにある』になります)。

更に、それよりも現実の世界の中に小さな魔物が飛び回る物語のほうが面白いのではな

いか、人の形をした小人で伝承の中にでてくるようなものがいい、と思うようになりま

した。そこからアイヌの伝説コロポックルと『古事記』の少彦名命にたどりつきます。

双方の共通点を見つけ、もともと同じものだったのではという仮説の元にコロボックル

が生まれたということです。

佐藤さとるは『だれも知らない小さな国」は自分の青春の「思いのたけ」を綴ったもの

であり、幼年時代から積み重ねた空想のカケラが積み重なっていったものだと語ってい

ます。幼いころの環境や読んだ本や出会った人物、すべてが運命的に絡み合っているこ

とを感じます。実はご両親は北海道の出身で、お父さんから『アイヌの話』という本を

譲り受けていたそうなのです。昔からコロボックルが守り神としてついていたのでは?

と思うようなエピソードです。

 

こんなに素敵なコロボックルの世界、ほかにもお話を知りたい、いつまでも続けてほし

い、と思っていましたがシリーズは完結し、佐藤さとるも2017年に亡くなられたので、

コロボックルの話を私たちに聞かせてくれる人はいなくなってしまいました(有川浩

んが2015年に『だれもが知ってる小さな国』を発表しています)。

佐藤さとるは、物語を続けていくとコロボックルの「トモダチ」になる人間がどんどん

増えてしまい、現実の方がひずんである種狂気の世界へ入ってしまうのでやめた、と語

っています。そしてこれで終わりだと思ったときに、

「コロボックルが象徴するものが何かということを悟った」

「それが何か、ということは言うつもりはないけれど、だから終わったんだということ

もわかった。非常に大きなものですよ。だけど秘密」と言っています。

コロボックルの象徴するものは何なのでしょう?

わたしは『コロボックル物語』の根底には「異質なものへの理解と協調」があると感じ

ていましたが、今回改めて考えてみて、「コロボックルはわたしたち自身(のなりたい

姿)」なのかもしれないと思いました。

ひっそりと自分たちだけで暮らしていたのが、仲間を得、様々な知識を身に着け、

広い社会に出て更に新しい仲間に出会い友好を深めていく。新しい良い物は積極的に取

り入れる一方で自分たちの文化や伝統、環境は大事に守ろうとする。

近代以降の人類が歩み、目指そうとする世界の縮図がコロボックルの世界なのでは

ないか。そんな風に思ったのですが、でもそれだったら終わりにする必要はない気がす

るし……。

 

ここまで駄文を連ねてしまいましたが、実は第五章「コロボックルへの手紙」を読め

ば、『コロボックル物語』の魅力について錚々たる作家陣(梨木香歩有川浩、重松

清、中島京子佐藤多佳子上橋菜穂子)が熱く語ってくださっています。

第五章は講談社文庫『コロボックル物語①~⑥』の解説を転載したものですが、わたし

の手元にある本は古い版なのでこの解説は初めて読みました。感動しました!

大好きな作家が自分と同じようなことを考え、幼いころに同じような行動をとり、自分

ではうまく表現できなかった思いを的確に表現して下さっていることがとても嬉しく

て、涙が出そうになりました。

そう、わたしもそう思ってた、コロボックルを探してた、いると信じてた……と。

 

特に有川浩さんの

かつての私たちは、「コロボックル」を信じた。しかし、それは不思議を信じたがる子供のころに特有のはしかではない。

「コロボックル」というファンタジーを支えていたのは不思議な魔法や奇跡ではなく、圧倒的なリアルだった。私たちはファンタジーではなくそのリアルを信じたのだ。

という文には深くうなずきましたし、

 

上橋菜穂子さんの

コロボックルは、私たちを見ています。

そのまなざしを感じて、私たちは心から思うのでしょう。ー善く在ろう、と。

コロボックルたちに、トモダチになりたいと思われる、そんな人で在りたい、と。

という文には、これがコロボックルの象徴するものなのかもしれないと感じました。

 

最後に佐藤多佳子さんの解説文をご紹介して終わりにしたいと思います。

きっと、世の中には、文字になっていないけれど存在している数多の物語があるのだろう。「秘密」とされて伝えられなかったコロボックルたちの幾千幾万の生活と冒険と恋の物語。幸運にも知ることができた大切な物語を思い浮かべて、心を開き、目をこらし、耳をすますと、語られなかった物語のカケラがつかめるのかもしれない。
 
わたしもこれからも何度でもコロボックルに会いに行き、「語られなかった物語のカケ
ラ」を探すことでしょう。