本棚に本があふれてる

読書の記録と本にまつわるあれこれ

『てのひら島はどこにある』~佐藤さとるの「原点」

佐藤さとる展のHPで「佐藤さとるの原点」と紹介されていました。

 

 

初版は1965年。初版の絵による新装復刊とのことです。

 

実はこの本も読んだことがなかったのです。

言い訳めきますが、『コロボックル物語』シリーズが好きすぎて、コロボックルの出て

こない作品には目がいかなかったというか。

本当に出会えてよかったなぁと思いましたし、個人的には大人になった今読んだことで

良さがわかったのではないかとも思いました。

 

『コロボックルの世界へ』の中で、作者は『てのひら島はどこにある』は『だれも知ら

ない小さな国』の下敷きになった話であると語っています。

たしかに、読み始めるとすぐ、似ている点が沢山あると気づきます。やんちゃな太郎、

すばしっこく飛び回る個性豊かな虫の神様たち、谷間の奥に隠れているようなヨシコの

家、など。

また、佐藤さとるのお話は「ボーイミーツガール」の物語でもあると思うのですが

(せいたかさんとおちび先生、クリノヒコとクルミノヒメ、正子とイサオ……)、

太郎とヨシコのお話も胸がときめく素敵なボーイミーツガール物語です。

 

けれど『だれも知らない小さな国』と似ていない部分にも、『てのひら島はどこにあ

る』の魅力があり、「原点」と言われる所以があると思います。

だれも知らない小さな国』が、「そこにあるけれど気づかなかった小さな世界」を見

つけ、守り、発展させていく話だとしたら、『てのひら島はどこにある』はその前段階

というか、「まだどこにもない小さな世界」を創り出し、失くし、また見つけるまでの

お話といえるのではないかと思うのです。

 

だれも知らない小さな国』では、「ぼく」のいる世界は現実の世界ではありますが、

同時に既にファンタジーの世界(コロボックルのいる世界)でもあります。

一方『てのひら島はどこにある』では、「虫の神様」や「てのひら島」のお話は、「話

中話」という形式により、あくまで太郎のいる現実の世界で語られるファンタジーとし

て区別されています。ところが話が進むうちに現実の世界とファンタジーの世界が魔法

のように溶け合っていくのです。そこがとても面白いと思いました。

最初はお母さんが虫の神様のお話を作って聞かせますが、子どもたちは自分たちで続き

を作っていくようになります。そのうち他の人には話さなくなるけれど、忘れてしまっ

たわけではなくて大事に自分ひとりの胸にしまっているだけ。

佐藤さとるのいう「人がそれぞれの心の中に持っている小さな世界」が太郎の心にも生

まれたのです。わたしも一人でお話を作って空想(妄想?)を楽しんでいたこどもだっ

たので、とても共感できました。

太郎は、ヨシコだけはとっておきの話を聞かせます。「自分の小さな世界」を共有する

仲間を見つけたのです。ヨシコとの出会いがきっかけになって、「てのひら島」の物語

も生まれ、また聞かせてあげようとヨシコの家を探しに行きます。

ところが。

きえちゃったよ、あの人たち、どこをさがしてもいなかった。

どこかへいっちゃったんだ。

現実の世界的な見方では、単に正確な場所を知らなくて行きつけなかっただけ。

でも太郎のこの言葉で、現実とファンタジーの世界がいきなり曖昧になったように感じ

てドキッとしました。「神隠し」とか「隠れ里」のイメージが浮かびました。

太郎にとっては、単にヨシコに会えなかっただけでなく、ファンタジーの世界へ行く扉

を閉ざされてしまったということなのではないか。そんな風に感じました。

だれも知らない小さな国』の「ぼく」も、小山を見つけた後、引っ越しや戦争のため

一度はそこを離れざるを得ませんでしたが、大人になってから自分の意志で再び訪れる

ことができました。けれど太郎はヨシコに会いに行く方法すらわからないのです。

太郎の挫折感や喪失感は、「ぼく」よりももっと深かったのではないでしょうか。

太郎は「てのひら島」の地図をしまい込んでしまいます。それでも忘れることはできな

くて、ひとり、「てのひら島」のことを思います。

でも、太郎はそこにいませんでした。太郎のイスは、いつもからっぽでした。

この一文が切なくて、涙がこぼれそうになりました。

 

そして15年の歳月が流れて。

 

わかものはいきなりぼうしをつかみとって、ぽーんと空へなげたのです。

そして、こんなことを、ひくいこえでいったのです。

「さあ、みつけたぞ!」

 

偶然迷い込んだふしぎな谷間。もしかしたら、そこは別世界で、太郎は今度こそ「本当

のファンタジーの世界へ行く扉」を見つけたのかも・・・と思わせます。

なぜなら、ご丁寧にも太郎の話自体が「どこかのおばあちゃんが孫に話して聞かせた

お話」だから。ここでも「話中話」形式が生きてきます。

 

それでは結局、ファンタジーの世界は現実の世界とは違うどこかにあるのでしょうか?

いいえ、そうではありません。太郎のさいごの言葉で、作者は、

「同じ「小さな世界」を共有できる人がいれば、そこがあなたの居場所。

ファンタジーの世界はすぐそこにある」と示唆しています。

その「すぐそこにあるファンタジーの世界」が、『だれも知らない小さな国』で

描かれているとすれば、やはりこの話は「佐藤さとるの原点」だと思うのです。

 

 

佐藤さとるの過去記事】

 

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