本棚に本があふれてる

読書の記録と本にまつわるあれこれ

クリスマスの本③ 『大草原の小さな家』シリーズ

 クリスマスの今日は、

クリスマスの描写が心に残る、わたしの大好きな本について。

ローラ・インガルス・ワイルダーの『大草原の小さな家』シリーズです。

 

 

 アメリカ開拓時代の家族を描いたこのシリーズ、

大好きなお話の一つで何度も何度も読みました。

 

 こどもの頃に初めて読んだのはこの福音館書店版。

しろいうさぎとくろいうさぎ』のガース・ウィリアムズの挿絵が有名です。

今手元にあるのは講談社文庫版で、原作初版本に使われたヘレン・シュウエルという方

の挿絵。こちらも素朴な味わいがあって素敵です。

 

 

   

   

 昭和世代なら、NHKで放送されていたドラマを見た方も多いのでは。

わたしも毎週見てました。

 

 

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大草原の真ん中に建ったログハウス。

たくましい父さんと優しく綺麗な母さん、ワンピース姿のおさげのかわいい娘たち。

一見理想的な大自然の中での暮らしですが、

実際の生活は非常に過酷だったようです。

幌馬車一つで運べるだけの家財道具を持って、何日も旅をしてたどり着いた場所で

家を建てるところから自分ではじめ、土地を耕して作物を育て、家畜を飼う。

大草原にポツンと一軒家。一番近くの隣家だってお店だって何キロも先。

キルト一枚隔てた外にオオカミの群れがやってきた、なんてエピソードもありました。

大事に育てた作物もイナゴや鳥に襲われたり、天候不良で育たなかったり、なかなか

思うようにお金が稼げずにまた新しい土地へ移住する…。

そんな厳しい環境でも家族で助け合い、神様に感謝し、日々笑顔を忘れずに過ごす

一家の暮らしぶりが、季節の移り変わりの美しさとともに丁寧に描かれています。

 

 

 大好きな話だけに、語り始めると熱くなってしまって止まりませんが、

さて、つつましく暮らすインガルス一家にもクリスマスは毎年訪れます。

親戚が集まって祝うクリスマス。友人が訪ねてくるクリスマス。

教会の大きなクリスマスツリーの下、

見知らぬ人々から寄せられた善意のプレゼントをもらうクリスマス。

父さんが吹雪に閉じ込められてしまったクリスマス…。

どのエピソードからも家族愛・隣人愛がしみじみと伝わってくるのですが、

そのなかから特に忘れがたい二つのエピソードをご紹介します。

 

 父さんの友達のエドワーズさんが、増水した真冬の川を泳いで渡って

ローラとメアリーにクリスマスプレゼントを届けにくる話

(『大草原の小さな家』 の「エドワーズさん、サンタクロースに会う」)

 

 

サンタクロースに父さんのために馬をプレゼントしてくださいとお願いする話

(『プラム川の土手で』の「クリスマスの馬」「メリー・クリスマス」)

 

エドワーズさん…」の時は、幼いローラとメアリーはプレゼントをもらう立場。

ローラとメアリーにクリスマスをしてやらなきゃ、と、「サンタクロースの代わりに」

危険を冒してプレゼントを届けるエドワーズさんの漢気がカッコよくてしびれます。

こんな天気ではサンタクロースは来られない、とがっかりしていたのに、思いがけず

プレゼントをもらって、「エドワーズさん、ありがとう!」と無邪気に喜ぶ二人。

父さんと母さんがいまにも泣き出しそうな顔でエドワーズさんにお礼を言う姿が

目に入っていても、その意味まではローラには伝わりません。

私も子どもの頃読んだ時は、プレゼントもらえて良かったね、と思った程度でしたが

親となった今読み返すと、大人達の気持ちが痛いほどわかって涙が出そうになります。

 

ところがその翌年(たぶん)「クリスマスの馬」では、二人は与える立場に。

自分たちのプレゼントを我慢して、代わりに父さんに馬を持ってきてくださいと頼み、

妹のキャリーにはボタンのネックレスを作ってプレゼントしてあげます。

サンタクロースとは誰かへの思いやりの心なのだ、と理解するのです。

ここでの母さんとの会話がとても素晴らしいのでちょっと長いけれど引用します。

 

  それから母さんは、サンタクロースの、もっとべつのことを話してくれ

た。サンタクロースは、どこにでもいるし、そのうえいつもいるのだと。

 だれでも、自分のことよりまず人のことをたいせつに思ったとき、そこ

にはサンタクロースがいるのだという。

 クリスマスイブは、だれもが思いやりの心をもつときなのだ。みんな

が、わがままな心をすて、ほかの人のしあわせをねがうから、その夜はサ

ンタクロースがどこにでもあらわれるのだ。そして朝になると、その思い

いやりの心が形になってあらわれている。

 「みんなが、ほかの人にしあわせになってほしいといつもいつも思って

いたら、いつもいつもクリスマスなの?」ローラがたずねると、母さん

は、「そうですよ。ローラ」といった。

 (『プラム川の土手で』 こだまともこ・渡辺南都子訳 講談社文庫)

 

だれもが思いやりの心をもち、わがままな心を捨て、他の人の幸せを願う。

コロナ禍の中、今こそ必要なことなのではないかと思わずにいられません。

 

 

 

 

 

 

 

クリスマスの本②『賢者の贈り物』

すっかり寒くなりました。ただでさえ寒くて外に出たくない上に昨今の状況では、

美容院に行くのも気が進まず、無謀にもセルフカットしてしまいました。

もともと長めのボブ(というと聞こえがいいが要するにおかっぱ)にしていたのを、

5センチくらい切って短めのボブおかっぱにしただけ。

まあまあ満足ですが、

次に美容院に行ったらなんといわれるかと思うとまた足が遠のいてしまいそう。

 

自分で髪を切っておいて言うのもなんですが、

髪を切る、って女性にとっては大事なこと。

ロングヘアの子がバッサリショートにすると、

「何かあったの?」「失恋したの?」と友達に囲まれたり。

逆にせっかく髪を切ってイメチェンしたのに、

恋人(夫)に気づいてもらえない虚しさを味わった人も多いのでは。

 

長い髪をバッサリ、で(ようやく本の話に)、すぐ思い出すのは

オー・ヘンリーの『賢者の贈り物』

 

 

自慢の長い髪を切って、最愛の夫ジムへのクリスマスプレゼントを買ったデラ。

夫からデラへのプレゼントは…

 

 どんなプレゼントがいいだろうといろいろ考えて選んでも、いざ渡してみると

いまいち微妙な表情をされてしまったり、

逆にどや顔で渡されたプレゼントに内心「えー」と思ってしまったり、

本当に喜ばれるものを贈るのって、夫婦といえども意外に難しいですよね。

 

ジムとデラの贈り物は、相手の一番大事な物をより輝かせるもの。

相手がとても欲しがっていたもの。絶対に喜んでもらえる贈り物。

 でもだからこそ、すれ違いがやるせない。

 

なにもそこまでしなくてもいいのでは?

そんなに無理しないでも、今手に入れられるもので満足すればいいのでは?

そもそもお金がなくて困っているのだから、

高価なプレゼントよりも先に買わなくてはいけないものがあるのでは?

…そんな風に思いながら読んだこともありました。

 

 

でもね、それはうらやましさの裏返し。

だって、相手のために自分の一番大事なものを惜しげなく手放せるって、

究極の愛ではないですか。

夫婦愛の美しさ、自己犠牲の気高さに心打たれる物語です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クリスマスの本①『ピヨピヨメリークリスマス』

早いもので12月も残すところあと20日

大掃除とか年賀状書きとかやるべきことは沢山あるのです。

でもその前に楽しいことをしようとクリスマスの飾りつけをしました。

数年前からは大きなツリーは出さないで、玄関の靴箱の上にちょっと飾る程度。

それでもじゅうぶん雰囲気は味わえるし、気分も上がる。

 ついでにクリスマスの本も出してみましょう。そうそう、この絵本。

 

 

5羽のヒヨコたちがお父さんやお母さんと一緒にクリスマスの支度をするお話。

お買い物をして、お部屋を飾り付けて、ご馳走をつくって、

家族そろってメリークリスマス! サンタさんは来るかしら?

翌朝目覚めたベッドの足元には…?

 

綺麗な色で描かれたかわいらしい動物たち。

背景の品々もとても細かく書き込まれていて、見ているだけで楽しくなります。

一時はクリスマス関係なく、毎日のように「読んで」と子どもにねだられていました。

 

子どもがはまった『ピヨピヨ』シリーズですが、実はわたしもはまっていました。

なぜかというと、絵柄からただよう「昭和感」がとても懐かしいのです。

作者の工藤ノリコさんも1970年生まれだそうなので、

きっとご自分のすごしたクリスマスを描かれているのだと思われます。

 

お部屋の飾り付けは折り紙で作った輪っか。

クリスマスツリーに下がっている、天使にろうそく、ステッキにブーツ、

ギザギザしたプラスチックの電飾ライト、どれもこれも見覚えがあります。

極めつけは太いモールで出来ているサンタと脱脂綿(たぶん)の雪!

そうそう、うちのクリスマスツリーもこんなだった!!と昭和世代なら思うはず。

お料理はフライドチキンではなくビーフシチュー。

そもそもヒヨコちゃんたちがチキンを食べていたら大問題ですが、

クリスマスにフライドチキンを食べるようになったのは比較的最近の事で、

昭和時代のごちそうは、

「ローストチキン(モモ肉の骨にひらひらした紙の飾りがついたあれ)」

または「ビーフシチュー」だったと思うのです。

飲み物はクリームソーダ。デパートのレストランでよく頼んだものでした。

アイスの茶色い入れ物も見たことありますね、当時のちょっと高級なアイス。

そしてそしてケーキの上には最近とんと見かけなくなった「アンゼリカ」。

もう昭和感マックスです。

最後にヒヨコたちの靴下にはいっているお菓子。パイン飴にフィンガーチョコレートに

とどめはウイスキーボンボンでしょうか。

昭和のクリスマス、満喫しました。

 

『ピヨピヨ』シリーズは他にも何冊か出ていますが、

どれもほのぼのとした親子のだんらんや日常の一コマを丁寧に描いていて

幸せってこういうことだよね、と心が温かくなります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしの「定点観測本」あれこれ

数か月前のことですが。

作家の川上弘美さんが、日経新聞のコラムにこんなことを書いておられました。

 

「変化」を知るには、本を読むことがいちばん簡単なのではないかと思っている。同じ本を数年おきに読む、という方法である。そのような本のことを、わたしは「定点観測本」と呼んでいる。自分が好きで、何回も読み返す本。(中略)数年おいただけで、がらっと自分の視点が変わることに、いつもびっくりする。

 (日本経済新聞「あすへの話題」2020.9.2)

 

そうそう。わたしも数年おきに何度も読み返す本は沢山あります。

指輪物語』(これは川上弘美さんと一緒でちょっとうれしい)

ホビットの冒険』 『コロボックル物語』 『とぶ船』『ナルニア国』シリーズ

『守り人』シリーズ 等々…(読書傾向がバレバレですね)。

 

ただわたしの場合、「変化」を知るというよりは、

「本の中の変わらない世界」に戻りたい、落ち込んだときに元気をもらいたい、

というような現実逃避的な部分があるかもしれません。

(「変化」がわからない=精神的な成長がない、ということかも)。

 

そんな中で、これぞ「定点観測本」!

何度も何度も読んでいるけれど、読むたびに自分の視点が変わる!!

という本があります。

それは…『赤毛のアン』です。

どこがどう変わったのか、語りだすと長くなってしまいそうなのでまた日を改めて。

 

他の定点観測本についても、いずれ書いていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はじめてのえほん 2

最近はブックスタートという活動があって、乳幼児健診の時に読み聞かせをしてくれた

り、絵本をプレゼントしてくれたりするそうですね。

 

わたしが子育てしていたころはまだそんな素敵な活動はなかったと思うし、

最初の子育ての時は、とにかくミルクとオムツと寝かしつけだけでいっぱいいっぱい

で、絵本の読み聞かせなんてとてもとても…。

時間にすればほんの数分ですが、時間というより、心の余裕が、多分なかった。

自分も本が大好きだったはずなのに。

 

ようやく余裕が少しできたのはいつ頃だったでしょう?

子どもに絵本ぐらいは読んであげなくちゃ、と半ば義務感で、初めて読んであげた本は

たぶんこれ。

 

 

鮮やかな色合いで描かれた、子どもが大好きな食べ物の絵、

あおむしがむしゃむしゃ食べ進む仕掛けの面白さ、

さいごに大きなちょうちょになる驚きなど、子どもの心をつかんで離さない絵本です。

 

うちの子も目をキラキラ、おててをバタバタして喜んでましたっけ。

それ以来、毎日毎日朝昼晩、何回も、何百回も、何千回も、一緒に読みました。

しゃべれるようになってからは、回らぬ舌で

「げちゅようび、りんごをひとちゅ、たびまちた」

なんて言うのもかわいらしかったなぁ…。

ピーク時は全部そらで覚えて、まだ文字は読めないはずなのに、

一人でページをめくりながら「読んで」ました。

 

読み聞かせしていた時間って、今思うと結構短かったです。

「あたらしい本を入れたいから、もう絵本は読まないからどけて」

と子どもに言われてちょっと悲しく思いつつ、

せめてブログにアップしてから片付けようと思う今日この頃です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はじめてのえほん

「はじめまして」の次は、初めて読んだ本、読んでもらった本について書こうと思って

いましたが、さて何だったかとしばらく考えていました。

親に尋ねてみようかと思いましたが、きっと忘れているでしょうから、私の記憶の中の

「はじめてのえほん」です。

・・・といっても悲しいことにタイトルも作者も出版社もわかりません。

出てくる動物たちも、ストーリーも、こんなだったかなぁとうろ覚え。

 

  おんなのこがおやつに大きなビスケットをもらいました。

 食べきれないので、お友達のくまさんに半分あげました。

 くまさんは、やっぱり半分残していぬさんにあげました。

 いぬさんは半分ねこさんに、ねこさんは半分うさぎさんに…。

 おいしかったね、ごちそうさま、とみんな帰っていきました。

 椅子の下には小さな小さなかけらが落ちています。

 そこへひよこさんがやってきて、かけらを拾ってたべました。

 

…こんなお話。

 

女の子の顔ぐらいある大きな分厚いビスケットがおいしそうで、

女の子と動物たちが仲良くビスケットを分け合うお話にもほのぼのしたし、

半分の半分のそのまた半分、とビスケットがどんどん小さくなっていく面白さ、

そして椅子の下に潜り込んでかけらを拾うひよこの絵が本当にかわいらしかったのです。

 

いろんな人に聞いてみましたがまだわからないまま。

もう一度、見てみたいなあ。

 

 

 

 

心の中のひみつ基地~「だれも知らない小さな国」

 

 

 

子どものころ、「ひみつ基地」にあこがれたことありませんでしたか。

私が子ども時代に住んでいた町には裏山だの雑木林だのはすでになく、

子どもが自由に遊べる空き地(「ドラえもん」にでてくる、土管のある原っぱみたいな

場所)もありませんでした。

それでも「ひみつ基地」へのあこがれは止まず、公園の遊具や植え込みの中で、

あるいは家の押し入れの中で、友達とお菓子やおもちゃを持ち寄って

「ひみつ基地」ごっこをしたものでした。

この本の主人公「ぼく」が見つけた「ひみつ基地」はそんなもんじゃありません。

杉林に隠された、小川のそばの小さな小山。

小山の三角平地には、泉が湧いていて水を飲むこともできるし、

椿の木に腰かけて本を読むことだってできるのです。

なんてうらやましい!!しかもこの小山にはもっとすごい秘密があったのです。

葉っぱの陰に隠れ、カエルに変装し、目にもとまらぬ速さで動き回る小さな人、

こぼしさまです。「ぼく」は、こぼしさま=コロボックルとの友情を育んでいきます。

 

このコロボックルの登場シーンが最高!

子どもの靴を舟代わりにして小川を下ったり、

不意に窓から飛び込んできたり、

傘の骨に止まっていたり、

壁の節穴を通り抜けようとしてお腹がつかえてしまったり、

ピアノの鍵盤の上にポーンと飛び降りて音で存在を知らせたり。

作者の精緻な描写と村上勉さんの挿絵の相乗効果で、本当にコロボックルがそこにいる

ように感じられ、いや、いると信じていました。

「ぼく」がうらやましくてうらやましくて、家の椿の木にも住んでいないだろうか、

勉強机の引き出しを綺麗にしておいたら隠れ家に使ってくれるかな、

など思っていたものです。

 

でも、「ぼく」は偶然コロボックルに出会えた、単なるラッキーボーイではないので

す。そこがこの物語の奥深いところだと思います。

確かに小山を見つけたのは偶然でした。

でも「ぼく」は小山の存在を友人にも秘密にし、綺麗に手入れをし、

いつか自分の物にしようと決心します。

大人になって、一時は小山の事を忘れていた「ぼく」は、少年の時の夢を思い出し、

実現にむけて動き始めます。苦学の末仕事を見つけ、働きながら小山を借り、

自力で小屋を建てます。

一方コロボックルの方も、自分たちを理解し、住処を守ってくれる人間を探している

ところでした。

「ぼく」のことも長い間密かに観察し、この人なら大丈夫と判断して

初めて「ぼく」の前に姿を現したのです。

「ぼく」とコロボックルは力を合わせて、開発から小山=「やじるしの先っぽの国」を

守り抜きます。

夢を持ち続け努力することの大切さ、異質なものへの理解と協調、環境問題など、

現代にも通じる普遍性があり、だからこそ長い間読み継がれているのだと思います。

 

最後にもう一人思いがけない人との再会があり、

コロボックルと「ぼく」の明るい未来を示しつつ物語は幕を閉じます。

コロボックル物語は全部で6冊のシリーズになっていますが、

個人的には1冊目のこのお話が一番面白いと思います。

 

 

さて、「だれも知らない小さな国」はどこかにあるのでしょうか?

あります。

私たちの心の中に。作者はあとがきでこう書いています。

 

 

人は、だれでも心の中に、その人だけの世界を持っています。その世界は、他人が外からのぞいたくらいでは、もちろんわかりません。それは、その人だけのものだからです。そういう自分だけの世界を、正しく、明るく、しんぼうづよく育てていくことのとうとさを、わたしはかいてみたかったのです。

 自分だけの小さな世界は、たいせつにしなければいけないと思います。同時に、他人にもそういう世界があるのだということを、よく知って、できるだけ、たいせつにしてやらなければいけないでしょう。 

(『だれも知らない小さな国』あとがきーその1ー

 佐藤さとる 講談社文庫)

 

自分の心の「ひみつ基地」にひっそりと住んでいるコロボックルたちに会いたくなった

時に、何度でも読み返す一冊です。