本棚に本があふれてる

読書の記録と本にまつわるあれこれ

腹黒じゃなくていい子だったよ~       『そらまめくんのベッド』

スーパーに買い物に行ったら、そら豆が売られていました。

グリーンピースにそら豆、枝豆、豆が出回るこの季節になるといつも思い出す本です。

 

そらまめくんのベッド (こどものとも傑作集)

そらまめくんのベッド (こどものとも傑作集)

 

 

そらまめくんの宝物はふわふわベッド。

誰にも貸さない大事な大事なベッドがある日とつぜんなくなって…?

 

 

 

そら豆といえば、私が子供のころ、親に聞かせてもらったそら豆のお話が

ちょっとブラックで…。

なぜそら豆に黒い筋があるのか、という話なのですが…。

  

 日本の昔話だと思っていましたが、グリム童話にも同じ話があります。

国が違うのに同じ話が語り継がれるって不思議ですね。

 

まめとすみとわら (心の絵本)

まめとすみとわら (心の絵本)

  • メディア: 単行本
 

 

 

完訳 グリム童話集 1 (岩波文庫)

完訳 グリム童話集 1 (岩波文庫)

 

 

 友達の不幸をゲラゲラ笑うそら豆って…と、子ども心にドン引きした記憶があります。

のちに「腹黒」という言葉を知った時も、「そら豆!?」と思ったり。

 

 

 

 話がだいぶそれました。

大人になって本屋さんで『そらまめくんのベッド』を見つけ、

ふわふわベッドですやすやねているそらまめくんの姿を見て

長年の偏見?が一瞬で消え去りました。

そら豆なのに可愛い! 

「腹黒」じゃない!(黒い部分は髪の毛みたいに描かれています)

「ベッド」って、さやのことか、なるほどね…たしかにふわふわだ…

(昔はベトベトしてる、と思っていたんです。物語の力ってすごいです)

 

早速 子どもに読み聞かせすると大喜びで、しばらくの間は店先で豆を見るたびに

えだまめくんのベッドはちいさいの。

ピーナツくんのベッドはかたいんだよね。

と言っていました。

そら豆のさやも実際にむいてみて、その「ふわふわ」具合に大興奮していました。

この「ベッド」、庭に置いておいたらだれか使ってくれるかなあ…

なんてやってみたこともありましたっけ(残念な結果に終わりましたが…)。

 

幼稚園くらいのこどもって、大事なおもちゃを人に貸せなかったり

人それぞれ個性があるということに気づけなかったりしますが、

ベッドをなくしたそらまめくんに最初はいい気味、と思っていた他の豆たちが

ベッドを貸してあげようとするところ

(そしてそのベッドが豆によって小さかったり固かったりするところ)は

そういったことをとてもわかりやすく伝えていると思います。

さらに、他のひとを思いやる気持ちや、皆で楽しみを分かち合う気持ちも

ストーリーの中で自然と共感できるようになっていると思います。

 

こどもに読んであげていたのはこの3冊でしたが

 

そらまめくんとめだかのこ (こどものとも傑作集)

そらまめくんとめだかのこ (こどものとも傑作集)

 

       

そらまめくんとながいながいまめ (創作絵本シリーズ)

そらまめくんとながいながいまめ (創作絵本シリーズ)

  • 作者:なかや みわ
  • 発売日: 2009/04/01
  • メディア: ハードカバー
 

 

 

 

出版社も変わって、続きのお話がいろいろ出ているのを知りました。

読んでみたいです。

  

そらまめくんのおはなし(3冊セット)

そらまめくんのおはなし(3冊セット)

 

 

 

 

 

 

 

ねずみ年は終わったけれどねずみのお話① 『冒険者たち』

本当は干支つながりで去年のうちに書きかけていました。

もう4月にもなってなんだか間が抜けてしまいましたが、

今週のお題】 「下書き放出!」に便乗しまして。

 

 ねずみが主人公の話って沢山あります。

すぐに思い付くだけでも、

『いなかのねずみと町のねずみ』

ぐりとぐら

『14ひきのひっこし』

『ねずみくんのチョッキ』

などなど…。

 

食べ物を食い荒らしたり、病原菌を媒介したりといった害獣のイメージもある一方で

可愛い、賢い、器用などといったイメージもありますね。

昔から人間の身近にいた、親しみのある生き物だからかもしれません。

 

そんな数あるねずみのお話の中でも好きなのは

 

 

冒険者たち ガンバと15ひきの仲間 (岩波少年文庫044)

冒険者たち ガンバと15ひきの仲間 (岩波少年文庫044)

  • 作者:斎藤 惇夫
  • 発売日: 2000/06/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

  

ドブネズミのガンバは、友達のマンプクに誘われて港に遊びにいったのをきっかけに、

15匹の仲間と一緒に島のねずみを助けに行くことに。

生まれて初めて見る海、ねずみの天敵イタチとの闘い、そして淡い恋。

命がけでイタチと戦うガンバ達の運命は…?

 

 

小さなねずみたちの話ではありますが、

平凡な男が数々の苦難を乗り越えて英雄となり、仲間と共に新たな旅に出るーという

おとぎ話にありそうな筋立てに、

勇気!友情!冒険!自由!夢とロマン!戦い!裏切り!団結!

などなどてんこ盛りの、非常に男くさいお話です。

生き生きとした躍動感や、楽天的な、前向きなパワーを感じます。

 

ねずみならではの器用さや身体能力もうまくいかされていて、

ロープを伝って船に乗り込んだり、齧ったり、穴を掘ったり、

泳いだり(ねずみって泳げるんですね)と大活躍。

頭脳派のガクシャ、肉体派のヨイショ、俊足イダテン、クールなイカサマなど、

15匹の仲間たちの性格や能力もそれぞれ個性的です。

 

 

 そして敵役のイタチのリーダー、ノロイがとても恐ろしいのです。

白い毛並みに優美なしぐさ、しかし狡猾なノロイは、

巧みなマインドコントロールで、ねずみたちを追い詰めていきます。

それぞれの個性を生かした戦いぶりで大健闘するも、

身体の小さなねずみたちはだんだん劣勢になってしまいます。

もうだめかと思ったその時に…?

 

ねずみとイタチの戦いというストーリーと並行して、主人公ガンバの成長も

魅力的です。

最初のうちは、その場のノリで「島のねずみを助けてやろう」と言い出したあげく、

 引っ込みがつかなくなって「俺一人でも行く」と強がって見せたり、

経験豊富な仲間のねずみたちについていけば何とかなるだろう、と思ったり、

ただの気のいいあんちゃんという感じは否めません。

 

けれどもガンバと行動を共にしていくうちに、仲間のねずみたちは(そして読者の

私たちも)行き当たりばったりなガンバの行動に少々あきれながらも、

持ち前の正義感と行動力、そして困っている者を見たらだれであろうと手を差し伸べる

優しさをもつガンバをリーダーとして認めるようになっていきます。

自分は決してそんな立派なねずみじゃない、と弱音を吐きながらも、

仲間たちを、愛する者を、そして自分たちの尊厳を守るために

勝ち目のない戦いに身を投じていくガンバはとてもカッコいいと思います。

 

戦いを終えたガンバは、仲間たちと一緒に旅に出ることになります。

さあゆこう仲間たちよ

住みなれたこの地をあとに

曙光さす地平線のかなたへ…

 

物語中に何度も歌われた歌と共に。

ガンバと仲間たちの冒険は、まだまだ続くことでしょう。

 

 

 

 一気に読み終えてしまう面白い物語の魅力を更に増しているのが

薮内正幸さんの挿絵です。

薮内さんといえば、『どうぶつのおやこ』『どうぶつのおかあさん』

などで知られる絵本作家です。

とても緻密で本物そっくり、だけど写真にはない温かみを感じさせる絵ですね。

冒険者たち』の挿絵をみても、写真のように精密なのに一匹一匹の特徴や表情まで

描きわけているのには驚きます。

作者の描くストーリーの面白さはもちろんですが、

薮内さんの挿絵のもたらす躍動感、臨場感が、この物語をファンタジーでありながら

リアルなものにしているのだと思います。

(だって襲い掛かってくるノロイの絵とか本当に怖いですよ)

 

冒険者たち』には前編にあたる『グリックの冒険』があって、

ここではガンバはちょい役です。 

 

グリックの冒険 (岩波少年文庫)

グリックの冒険 (岩波少年文庫)

  • 作者:斎藤 惇夫
  • 発売日: 2000/07/18
  • メディア: 単行本
 

 

 

 ところがガンバのお話をもっと書いてほしい、

という読者たちの声で続きを書いたのが『冒険者たち』とのことです。

 

後編にあたる『ガンバとカワウソの冒険

が続いて3部作となっています。こちらでもガンバは大活躍します。

ガンバとカワウソの冒険 (岩波少年文庫)

ガンバとカワウソの冒険 (岩波少年文庫)

  • 作者:斎藤 惇夫
  • 発売日: 2000/09/18
  • メディア: 単行本
 

 

 

 

 

 ちなみに、

1975年にテレビアニメ化されていたようですがわたしは残念ながら見ておらず。

2015年には映画化もされています。

絵はとてもきれいですがちょっとねずみたちを擬人化しすぎな気がするし、

ノロイもツルツルしていてイタチっぽくないかな…と個人的には思います。

 

 

  

GAMBA ガンバと仲間たち

GAMBA ガンバと仲間たち

  • メディア: Prime Video
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

土から離れては生きられないのよ~『英国貴族、領地を野生に戻す』

 

 

『英国貴族』というタイトルに惹かれて軽い気持ちで手に取ったのですが

とても読みごたえがありました。

  地球規模での環境破壊が問題となっている今、読んで良かったと思います。

 

準男爵の一家がイギリス南東部のサセックス州に代々受け継いだ領地が舞台ですが、

さすが英国貴族、クネップという名のこの領地がすごいです。

もともとは12世紀(平安時代!)に領主が築いたお城で、

ジョン王も鹿狩りに訪れたという由緒ある場所。

総面積1,416ヘクタール。なんと東京都目黒区に匹敵する広さです。

一家はここで農園を経営していましたが、もともと農業に不向きな土地だった上、

農業の近代化とグローバル化の影響で経営難に陥ります。

そこで家畜や農機具などを全て手放し、耕作を下請けに出し、政府の資金援助を受けて

「領地の一部を自然の状態にもどすプロジェクト」に着手したのでした。

 

このプロジェクトは「カントリーサイド・スチュワードシップ」と言って

野生生物の保全、景観の維持向上、歴史的環境と自然資源の保護を目指すものです。

イギリスは産業革命以降の近代化、および第二次大戦中に食料自給率を高めるため

積極的に農地を増やしたことなどで自然の生態系が失われ、動植物の絶滅も深刻化して

いるとのこと。日本と同じですね。先進国の抱える問題なのでしょう。

 

再野生化で自然が復活していく様子は感動的です。

耕作を止めた土地には様々な草木が生え、虫が増え、小動物が増え、

放牧されたシカや牛や野ブタが自由に草を食み地面を掘り起こし排泄物を落とす。

それがさらに生態系の回復を促して、

ナイチンゲールやコキジバトのような希少な動植物もやってきます。

イリスコムラサキという珍しい蝶も数万羽も飛び交うようになり、

枯れかけていたオーク(ナラ)の木がよみがえっていきます。

自然の力って本当にすごい!と圧倒されます。

 

「野生=自然のまま=ほったらかし」でしょ、再野生化なんて簡単じゃないの?

と思いがちですが、決してそうではないということを初めて知りました。

 たとえばシカや牛などの大きな動物を放すときは、生態系のバランスを崩さないように

とても慎重に検証を重ねます。

この土地に昔からいた動物は?

もし絶滅してしまっていたら一番近い種類はどれか?

この広さに生息できる数は?繁殖して数が増えたら?

死んだ場合の死骸の処理は?などなど…。

「ほったらかし」とは対極の非常に論理的・科学的な姿勢には感心させられました。

 

 

筆者は何度も「自然とは何か?」と問いかけます。

今わたし達の身近にある「自然」は、人間が手を加えてしまった状態であって、

今生きている人は誰も、本当の野生の状態を知らない、というのです。

だからこそわかる限りで昔のことを調べ、慎重に取り組む必要があるのですね。

けれども「正解が誰にもわからない」ので、

今ある状態が「あるべき自然」と感じている人々からは、「農地がもったいない」

「雑草が景観を損ねる」「害虫・害獣が増える」といった批判を受けます。

 

こうした批判の数々に筆者は一つ一つ耳を傾け、科学的な根拠を示していくのですが、

驚きの事実が次々明かされて目からウロコがぼろぼろと。

 中でも、自然保護より農業生産を優先すべきという批判に対して示す

 「実は地球上では、既に世界の総人口を養うのに十分な食料が生産されている」

という事実には衝撃を受けました。

(ではなぜ食料危機が問題になるかというと、先進国の人が過剰に買い占めたり、

食べずに廃棄してしまったり、インフラが未発達な国々では保存や輸送の段階で

腐ってしまうなどの理由で、本当に必要とする人々の口に入らないからなのです。)

 

また、「土」の持つ力にも驚かされました。

豊かな土は多くの動植物を育むことができる、この程度ならわかりますが、

カーボン・ファーマーズ・オブ・アメリカという会社が主張するように

「世界中の耕作地の土壌中に含まれる有機物がわずか1.6パーセント増加すれば、

気候変動の問題は解決する」となると、

有機物を1.6パーセント増やすのにどのくらいの労力と時間がかかるのかはともかく、

驚きを通り越して奇跡のように思えませんか。 

 

 土は、私たちの目の前で生まれるあらゆるものの、目に見えない基盤であ

り、資源を生まれ変わらせ、すべてをつなぐものであるー土は生命の鍵

そのものなのだ。

 

筆者のこの言葉、

映画『天空の城ラピュタ』のシータの名台詞

「土から離れては生きられないのよ」を思い出したのはわたしだけでしょうか。

 

 

映画と同じように、クネップにも明るい未来が待っているように思えたのでした。

 

 

けれど…。現実は甘くはなくて。

20年にわたるクネップのプロジェクトは多くの研究者から高い評価を受け、

観光客も大勢訪れるようになります。プロジェクトは成功したと言えるでしょう。

それでもクネップだけでは、まだ「小さすぎて」

絶滅の危機に瀕している動植物を救うことはできないというのです。

それでも希望を捨てず、一人一人が少しづつでも行動すれば未来は必ず変えられる

という信念を持って、新たな目標に向け歩み続ける筆者の姿に静かな感動を覚えます。

最後のページは涙で文字がぼやけてしまいました。

 

自分には何ができるのか。

食べ物やエネルギーを無駄にしない、ゴミを出さない、環境に配慮した商品を選ぶ、

自然保護団体に寄付をする…?

すぐ思い付くのはほんの些細なことでなんだか歯がゆいのですが、

少しづつでも続けて行きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『だれもが知ってる小さな国』

だれも知らない小さな国』の作者佐藤さとるさんが2017年に亡くなられたとき、

とても悲しくて。

ああ、もうコロボックルのお話は終わってしまったんだ、

後は自分の心の中で大事に温めていくだけだ、と思っていました。

ところがうれしい驚きで、有川浩さんが続編を書かれていたことを知りました。

しかも村上勉さんの挿絵で。

 

 

だれもが知ってる小さな国

だれもが知ってる小さな国

 

 

 

有川浩さんと言えば、『図書館戦争』『空飛ぶ広報室』『三匹のおっさん』など、

多くの作品で賞を受賞したり映像化も次々にされるという人気作家。

読んでも観ても面白くて、好きな作家の一人です。

その有川さんが書くコロボックルの物語。

わー嬉しい、すぐにでも読みたい!と思う半面、

わたしの大好きな、あの世界観と違ってしまっていたらどうしよう?

このまま読まないで、「わたしの」コロボックルの世界に浸っている方がいいのでは?

など屈折したオタク心を胸に、恐る恐る手に取りましたが…

 

はい、大正解でした。

コロボックル物語』のファンなら、「だれもが知ってる」小さな国は健在でした。

 

まずしょっぱなからだれも知らない小さな国』のオマージュです。

 

二十年近い前のことだから、もう昔といっていいかもしれない。

ぼくはまだ小学校の三年生だった。 

 

そっくり同じ文章で物語が始まったことに感動しました。

 

この後も主人公が語るスタイルで話は進みますが、

その語り口も『だれも知らない小さな国』とそっくり!

一気に気持ちを持っていかれます。

さらに主人公の名前が「ヒコ」と「ヒメ」。

これでもう、二人がコロボックルと何らかのかかわりを持っているとわかります。

そしてこの二人は「はち屋(養蜂家)」の子。これまたコロボックル物語に出てくる

「くまんばち攻撃」や「ミツバチぼうや」を思い出させます。

他にも男っぽい話し方の先生や、黒髪にぱっちりお目目、しっかり者のヒメちゃん。

「こんな人いたいた!」と、どんどんコロボックルワールドに引き込まれていきます。

 

こんな風に『コロボックル物語』の雰囲気は濃厚に受け継ぎつつも、

物語の舞台は現代なので、まったくの続編というわけではなく、

おなじみの登場人物は出てきません。

主人公のヒコもゲーム大好きな現代っ子

そんなヒコの前にハリーという一人のコロボックルが現れますが、

こちらも名前からしてイマドキの若者風だし、

ヒコの反応(すげーレアキャラゲットしちゃった!的な)も、

いかにも現代っ子ぽくてクスッと笑えます。

 ハリーと 友達になるために、だれにもしゃべらない、と約束するヒコ。

でも、自分が見たものは一体何なのか気になって仕方がない。

秘密は守らなきゃいけないけれど、本当のことを知りたい。

「小人って、本当にいるのかな」うっかり漏らした一言に、

本好きのヒメちゃんが教えてくれたのが『だれも知らない小さな国』でした…。

 

主人公が『コロボックル物語』を読んでコロボックルについて知るという展開も、

小さな国のつづきの話』と同じ。

  『コロボックル物語』シリーズが作中でとても効果的に使われています。

 

 

ヒコとハリーが少しづつ友情を深めていく中で、

 今作でも、コロボックルの静かな生活が脅かされそうになります。

ヒコはどうやってコロボックルを守るのか? というストーリーと並行して、

ヒコとコロボックル、

ヒコとヒメ、

ヒコとミノルさん、

ミノルさんとトシオさん、

コロボックルとミノルさん…

登場人物それぞれの関係を通して、『コロボックル物語』の根底にある

「異質な物への理解と協調」というテーマも丁寧に描かれていきます。

 

さて、ハリーはなぜヒコの前に現れたのか?

最後の怒涛の種明かしはさすが有川さんです。

「やっぱりね」も「そうだったのか!」も(タイトルの意味も含めて)ありますが、

きっちり伏線が回収されて気持ちのいい爽やかな読後感です。

 

そしてもう一つの、誰もが抱く疑問、

「そもそもコロボックルは本当にいるのか?」という問いに対しても、

有川さんは登場人物の一人に語らせる形で素敵な答えを用意していました。

「信じている人には見える。サンタクロースと一緒だね」

 

 有川さん、「私たちに、もういちどコロボックルを、ありがとう!!!」

 

 

 

 

(表記の誤りを2021年10月28日に訂正しました)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

安野光雅さんの本

画家・絵本作家の安野光雅さんが2020年12月24日、94歳でお亡くなりになりました。

 

 初めて出会った安野さんの本は『ふしぎなえ』

 

小人が階段の上を歩いているのをたどっていくと、あれ?

さかさまになってる?またもどってる?…なんだか頭がぐるぐるしてきたよ…

本をさかさまにしたり、横向きにして見たり、

ページの隅々までじっくり見るなんて、それまで読んだ本にはなかったこと。

 

 

『あいうえおの本』も凝っています。 

 

「あ」のページには安野さんお得意の木組み細工の「あ」を中心に

「あ」で始まる物の絵が精密に、びっしりと描かれています。

 

「く」の文字に「くぎ」が「くいこんで」いたり、

「さ」のページ(木組み細工の木は「さくら」かな?)では

「さる」が「さんりんしゃ」で「さかだち」していたり。

見るたびに新しい発見がありました。

 

父親はこういう知的な遊び心を刺激する「不思議系」が好きで

一方母親は抒情的な『旅の絵本』のシリーズが好きだったので、

 

実家には安野さんの本がたくさんありました。

どの本も好きだったけど、中でもわたしのお気に入りは、

 『野の花と小人たち』でした。

 

すみれ れんげ ほたるぶくろ かわらなでしこ なわしろいちご ひがんばな…

ちょっと懐かしい感じの野の花と、そこで遊ぶ小人たちの絵。

のぶどうを摘んだり、やまのいものつるでブランコをしている小人の姿が、

当時大好きだった『床下の小人たち』シリーズや『木かげの家の小人たち』と

重なって、あれこれ想像しながら飽きずに眺めていたものでした。

  

 

子どもが生まれて、少し大きくなったころ、

『はじめてであう すうがくの絵本』

をプレゼントしてもらい、久しぶりに安野さんの絵に再会しました。

 

相変わらず精緻で、ちょっと不思議な絵。懐かしの小人たち。

え?いきなり「なかまはずれ」の話? 数字は?足し算は?

私の思っている数学(算数)と全く違う「すうがく」の話に、

久しぶりに頭がぐるぐる回る感覚を味わいました。

 

算数だけでなく、他の学問全般に共通する考え方を教え、発見や創造の喜びを分かちあい、たまには迷路にさそいこんでくやしがらせる、そんなおもしろい本はできないものか、と考えたのです。あとで気がついてみたら、それは数学のことでした。

 (『はじめてであう すうがくの絵本』 安野光雅 福音館書店

 

安野さん、まんまと迷路に迷い込んだ読者がここにも一人おりますよ…。

 

 

その後またしばらく安野さんの本から遠ざかっていましたが、

最近になってこの本に出会い小躍りして喜びました。

 

 

大好きなローラの物語が安野さんの挿絵で読めるなんて!

オオカミや熊のいる大きな森の中に建つ丸太小屋、海のように広い青い湖、

月の光をあびてたたずむ牡鹿の姿。

息をのむような美しい挿絵の数々です。

ローラのお人形、おばさんたちの豪華なドレス、刺繍の壁飾りなども

温かいタッチで、まるで見てきたかのように描かれています。

また、家の構造、燻製小屋、チーズ作り、稲刈り、雑穀、ランプ、銃、などの

昔の道具や機械の仕組みは安野さんの鋭い観察眼で精緻に描かれていて、

なるほど、ランプはこういう構造をしていたのか、

銃の弾込めってこういう仕組みなのか、と

今まで知らなかった新しいローラの世界に出会うことができました。

 

 他にも、 『赤毛のアン』『メアリ・ポピンズ』『あしながおじさん

などの挿絵を次々に手掛けていたと知りました。

最晩年まで変わらぬ情熱で絵を描き続けておられたのですね。

どの本もわたしの愛読書なので嬉しいけれど、

もう新しい作品に会うことはないのだと思うととても残念です。

 

ご冥福をお祈りします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思い切って踏み出す一歩 ~『あるきだした小さな木』

(この記事は2020年9月に書いたものを書き直しました。)

 

何か新しいことをやるとき、

すぐに始められる人もいれば、なかなか行動に移せない人もいますよね。

 

わたしはどちらかというと後者のタイプで

ブログを始めようと思ってから開設するまでに、まる一年かかりました。

ブログ以外でも、何かやってみたいことがあっても

「いまさら始めても遅いよね」とか

「うまくいくかどうかもわからないし」と、できない言い訳を先に考えるタイプ。

 

 

そんなわたしに、エールを送ってくれるのがこの本。

  

 

ちいさなちびっこの木は森の中でパパやママの木と平和に暮らしていました。

ある日「にんげん」の男の子に出会ったちびっこの木は、

人間と一緒に暮らしてみたいと思います。

そして、毎晩のように体をゆすり続けたちびっこの木は、

ある夜とうとう地面から抜け出して歩き出すのです!

歩けるようになって喜ぶちびっこの木の姿が本当にかわいらしいです。

いかにもフランス風な、おしゃれで色彩豊かな挿絵も素敵です。

 

 

 

 小学生くらいの時に初めて読んだときは、

木が歩いて人間とおしゃべりできるなんて面白い、程度の感想しか持ちませんでしたが

大人になってふと読み直したときに心に残った文章がありました。

 

仲良しのすずめに、「木はあるけない」と言われたちびっこの木は考えます。

 

 でも ほんとうに

 

木は あるけないかしら。

 

それは いままで、

ためしにあるこうとした 木が、

一本も なかったからです。

ほんとうに いっしょうけんめいに

あるこうと おもった 木が、

一本も なかったからです。

 

(『あるきだした小さな木』 テルマ=ボルクマン作 花輪莞爾訳 

 偕成社) 

 

地面に何百本も根を絡ませた木が、歩き出すことができるなら。

本当に本気になれば、人が一歩踏み出すなんてたやすいはず…。

と思えたのでした。

 

 

 さて、

歩き出したちびっこの木はふるさとの森から遠くへ旅をし、

沢山の物を見て沢山の人に出会います。

時には切られそうになったり、引き抜かれて庭に植えられてしまったり。

いろいろな冒険を切り抜けたちびっこの木は、最後に再び地面に根を下ろします。

「大きな おとなの 木」になったちびっこの木には、

小鳥が枝に止まって体を休め、人間が木陰で涼み、

風が葉っぱをゆすって美しい音楽を奏でていくのでした。

 

 

一歩踏み出した先にわたしには何が待っているのか、今は楽しみにしています。

 

 

 

 

 

丑年なのでうしの本

2021年もすでに2週間たってしまいました。

新年の抱負として、今年はもう少しまめに更新しようと思います。

 

さて今年は丑年。

牛の出てくる本、で思い出したのは

『はなのすきなうし』

 

 

  

 

表紙の赤が印象的なので、挿絵もカラーかと勘違いしていましたが

久しぶりに読んでみたら挿絵はモノトーンで落ち着いた雰囲気です。

でもその一方で牛の表情や人の動きは漫画チックでクスッと笑えます。

すぺいん とか ふぇるじなんど とか、すべて平仮名表記なのが、

まきば(ぼくじょう、ではなく、まきば)ののんびりした牛たちの姿に

よく合っていてほっこりします。

 

スペインのとある牧場に、フェルジナンドという牛がいました。

 牧場の他の牛たちは、闘牛になることを目指して飛んだり跳ねたりしていましたが、

フェルジナンドは木陰に座って花のにおいをかぐのが好きでした。

(リアル「草食系」ですね。)

大きく強い牛に成長してもひとり静かに暮らしていたフェルジナンドの元に、

ある日5人の男たちがやってきて…。

 

思わぬハプニングで闘牛にされてしまいますが、戦おうとしない。

どうなっちゃうの?

でもだいじょうぶ。

フェルジナンドは牧場に帰って、以前の暮らしを取り戻すことができました。

  

子どもの頃は、

「まきばにもどれてよかったとおもいました。

 花のにおいが好きな牛はかわいいとおもいました。」的な感想でしたが。

今はもう少しあれこれ考えてしまいます。

 

 他の牛たちからみたらフェルジナンド的な生き方は「負け組」でしょう。

華やかな大都会で闘牛として活躍するチャンスが巡って来たのに、

あっさりそれを手放してしまうなんて。なんてもったいない。

 

でも、フェルジナンドは言います。

   

「ぼくは こうして、ひとり、はなの においを かいで いるほうが、すきなんです」 

 

群れない、周りに合わせない、

自分の好きなことができればひとりでも幸せだしさみしくない。

他の人に期待されても自分のやりたいことでなければやらない。

…のんびりおっとりしているようにみえて、なかなか筋の通った生き方です。

 

でもなかなか貫けないですよね、そういう生き方。

ついつい、世間一般の幸せとか、平均的な生き方とか、競争に勝つとか、

周りの顔色を窺ったり、周りからの評価を気にしたり。

あなたの能力ならこれが向いている、これくらいできる、と言われれば、

がんばって、時には無理をして期待に応えようとしたり。

そしてうまくいかなくてどんどん自己評価を下げてしまったり。

日々の生活が忙しすぎて、自分が本当に「好き」なことさえ忘れてしまいそうになる。

そうだ、今年は「自分の気持ちに正直に生きる」努力をしてみよう!

・・・と思ったり。

 

 

どうしても気になってしまうのだけれど、

実際のところ闘牛に向かない牛ってどうなってしまうの?

おいしくいただかれちゃったりしないの?

・・・と思ったり。

 

子どもの絵本を読みながら、

深読みだの、妙な心配だのをしてしまうようになりました。

こういう時が、「今週のお題」「大人になったな、と感じる時」です。