本棚に本があふれてる

読書の記録と本にまつわるあれこれ

理想の自分はどこにいますか?~『ビッグ・オーとの出会い』

『ぼくを探しに』の続編のお話です。

 

 

”THE MISSING PIECE MEETS THE BIG O"  という英語のタイトルが示すように、

今度は「かけら」の側からみたお話です。

 

かけらはひとりで座っていた

誰かがやってきて どこかへ連れて行ってくれないか と待ちながら

 

かけらの一人称は「ぼく」なのですが、この冒頭の一文で咄嗟にイメージしたのは

「白馬の王子様を待っている夢見る女の子」。

誰か素敵な人に出会えれば、自分の人生も素敵に輝くに違いない…。

自分もこんな感じで他力本願だったなぁ…という反省があったからかもしれません。

でもこのあとやってくる誰かさんたちとのかけひきをみたらますます女の子にしか

思えないのです。もしかして男性が読むとかけらは男性に思えるのか? ちょっと

知りたいところですが、やはり読む人によっていろいろな感じ方ができるということ

ですね。

 

さて、やっと理想の相手に巡り合えた!と思ったら…。

このあたりの展開も、「夢見る女の子が自我に目覚めた」と読み取れるような。

 

そしていよいよビッグ・オーが現れます。

大きくて丸くて、堂々としていて自信に満ち溢れ、一つも欠けたところがない。

ビッグ・オーは、相手としても理想的なのはもちろんですが、

なりたい自分の象徴であるとも言えるでしょう。

君のかけらになりたい、君と一緒なら転がれるかも、と願うかけらに、

ビッグ・オーの答えは?

かけらのとる行動は?

 

なりたい自分の姿は自分の中にある。

ありのままの自分でいいから、自分を信じてとにかく一歩踏み出してごらん。

そうしたらきっと変われるよ。いつかなりたい自分になれるよ。

 

『ぼくを探しに』でも感じたメッセージがもっと明確に伝わってくるように思います。

 

 

 

村上春樹さんも翻訳されています。

「はぐれくん」という訳に、不安や心細さ、自分に自信の持てない感じがよく出ている

なぁと思います。

 

 

 

 

 

 

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見つけたい物は何ですか~『ぼくを探しに』

新年度を前にやる気満々の人にも

新しい出会いを求める人にも

いやいや、早くもちょっと疲れ気味、という人にも

 

だめな人と

だめでない人のために

 

誰の心にも寄り添ってくれる優しい本です。

 

新装 ぼくを探しに

新装 ぼくを探しに

 

 

何かが足りない

それでぼくは楽しくない

 

 と思う「ぼく」が、足りないかけらを探して旅をするお話。

黒い線だけのシンプルな絵がかわいらしいし、

ユーモラスな表現にクスクス笑えるし、

さらっと楽しく読むことができます。

 

でも、読む人によって、またその時の状況によって、

いろいろな受け止め方もできるお話です。

そこは『おおきな木』と同じで奥深いです。

 

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わたしは小学5年生か6年生の時にはじめて読んで、その時はてっきり

「理想の相手を探す旅」

だと思いました。ませた子どもでしたねー。

 

一方、『ぼくを探しに』という日本語タイトルからすると

探しているのは「理想の自分」、自分探しの旅のお話とも取れます。

理想の自分を見つけるのは難しい。

でも妥協しても幸せにはなれない。

希望を捨てずに探し続けよう。

きっといつか「ぼくだけの」かけらに出会えるから…というような

前向きなメッセージも感じ取れます。

わたしも大人になってからはずっとそのように感じながら読み、

頑張ってきたように思います。

 

英語のタイトルは ”The Missing Piece” 「足りないかけら」

なので、恋人とも、自分に足りない何かとも、自由に解釈できますね。

 

けれども今回改めて読んでみて気づきました。

「何かが足りなくて楽しくない」と思っていた「ぼく」ですが、

かけらを探しながら歌を歌ったり、虫たちと触れ合ったり、花の匂いをかいだり、

つらい旅の最中にも小さな喜びを見出すようになっているのです。

そしてピッタリのかけらが見つかった!

「ぼく」とかけらはそのあといつまでも幸せに暮らし…あれ?あれれれ?

 

この終盤の展開から、

「なりたい自分と本当の自分は違う。

  無理に何かを付け足さなくても、あるがままの自分でもいいんだよ」

というメッセージを感じたのでした。

もっと若い頃なら、こんな風に感じたとしても、そのあとすぐに

いや結局これは理想のかけらではなかったということ、

現状維持に甘んじるなんて努力が足りない!

本当の理想の自分を目指して頑張るのよ!

なんて自分を叱咤激励していたことでしょう。

でも、今持っているものに感謝して日々穏やかに過ごせることも

大切だよね、と思うようになったのです。

 

物語の終盤、「ぼく」は再び歌を歌い、蝶と戯れます。

わたしもそんな小さな喜びを見つけながら旅(人生)を続けたい。

そしていつか心が満たされた時が、かけらが見つかる時なのかもしれない…と。

 

『傑作はまだ』

瀬尾まいこさんの本をまた読みました。

 

 

主人公加賀野は作家。デビュー作は大ヒットしましたが、今はなかなか次のヒット作が

書けず家にこもりがち。

「明日がもっとすばらしいことをきみはぼくに教えてくれた。

今日はきっときみを知る日になる。」

自分が書いたセリフが空しく響く日々を過ごす加賀野のもとに、一人の若者が突然やっ

てきて…?

 

この加賀野、人づきあいが苦手で社会的常識にも欠けていて、わたしは同世代というこ

ともあり「その年でそれはないでしょ(苦笑)」と半分呆れながら読んでいました。

でも本人はあくまで真面目で一生懸命なので、次第に「こんな人もいるかも」となぜか

憎めなくなってきます。

一方若者の方は、話し方はいかにも今どきの若者風でチャラい感じですが、常識をわき

まえたなかなかのしっかり者。加賀野はもちろん、ご近所の人たちとも自然に打ち解け

ていきます。いやぁうちの子たちもこんな風に如才ないといいんだけどねえ、とちょっ

と母親目線になっていきます。このあたりの日常の描写はとても穏やかで心地いいで

す。

 

さて、若者に振りまわされながら、少しづつ変わっていく加賀野。

引きこもり気味の男性がだんだん外の世界に出ていくお話?このまま穏やかに終わっ

ていくのかな、それでもまあまあ面白かったな、と思っていたところ、最後に物語が大

きく展開するのですが…。

「勇気と勢いをもって動いたって、小説みたいにドラマティックにはいかない。

現実は滑稽でまどろっこしいものなのだ」

と肩を落とす加賀野。そう、現実は厳しいもの。

でもね。そこはやはり小説です。

違う視点から語られることで、それまで語られてきた物語が全く別の見え方で鮮やかに

立ち上がってくる終盤はとてもドラマティックでした。

 

『太陽の東 月の西』

太陽が昇るよりなお東。月が沈むよりなお西。つまりは「この世の果て」。

ちょっと前に読んだ『児童文学の中の家』で紹介されていて知りました。月明りを背に

そびえたつお城。雪と氷に閉ざされた最果ての地を一人旅する少女。深井せつ子さんの

挿絵が素晴らしく、それになんて素敵なタイトル!でも読んだことないなぁ、いつか読

んでみよう…と思っていました。

ところが『九年目の魔法』を読んだらまたまた言及されていて。あらすごい偶然、これ

はもう「読め」ということですね。

 

 

アスビョルンセンが集めたノルウェーの民話集です。

表題作の他にも、グリム童話や日本の民話にもあるような、痛快な話、ちょっとブラ

ックな話、切なくなるような話が沢山載っていて楽しく読みました。

『羽衣伝説』や『三枚のお札』によく似た話もあり、違う国なのに似たような話がある

のはどうしてだろう、といつも思うのですが、国や時代が違っても人間の願うこと、

恐れること、後世に伝えたいことって実はそんなに変わらなくて、同じ話が少しづつ

変化しながらも長い間語り継がれているということなのでしょうね。

 

『太陽の東 月の西』は最後にのっています。

白熊のお嫁さんになった女の子が、相手の正体を知りたいと思ったばかりに離れ離れに

なってしまい、白熊(実は魔法にかけられた王子様)を探して「太陽の東、月の西」

にあるという王子の城まで旅をするお話。

わたしがまず思い浮かべたのは『美女と野獣』でしたが、もっと古く帝政ローマの作家

アプレイウスの『黄金の驢馬』の中の『クピドとプシュケ』という逸話にも似ているそ

うです。

女の子の長い旅は王子の愛情を疑ったことへの罰、王子への愛情を確かめるための試

練、ということなのでしょう。そして民話によくある3回、4回と繰り返される類似のエ

ピソード(しかもこのパターンが更に2度3度繰り返される)が目的地への距離感や試練

の困難さ、そしてそれにもくじけない女の子の強い想いを強調しています。

また、「太陽の東 月の西」という表現や、東風、西風、南風、北風に連れて行っても

らってやっとたどり着く、というあたりは、さすが帆船を操って北の海を漕ぎまわった

ヴァイキングの国のお話だなぁと思いました。

 

 

 

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『九年目の魔法』

 

 

ダイアナ・ウィン・ジョーンズはイギリスの人気ファンタジー作家。

ジブリの『ハウルの動く城』や『アーヤと魔女』の原作者としても知られています。

わたしは上記のアニメ2作品は見たものの、今までこの方の本を読んだことはなかった

のですが、たまたまこの本を見つけ、タイトルに惹かれて手に取りました。

原題は ”Fire and Hemlock” (火と毒人参)。

この題名だったら「なんじゃこりゃ」とスルーしていたと思うし、表紙の絵もちょっと

怖そうで、正直あんまり好みではない雰囲気なんですが、タイトルが素敵で。

失われた時を求める少女の愛と成長をつづる現代の魔法譚

とあります。「魔法譚」という響きも素敵。

 

目次といい、各章の冒頭に引用されている文章(わかる人にはこの時点で「ああ」と思

う引用のようですが)といい、なんだか謎めいた雰囲気で物語は始まります。

19歳のポーリィは、ある時自分の記憶が二つあることに気づき、どちらが本当の記憶な

のか思い出そうとします。

そもそもの発端は10歳のポーリィがリンさんという男の人と出会ったことでした。

リンさんはポーリィの空想を嗤うことなく一緒に楽しんでくれ、沢山の本を贈ってくれ

ます。ところが二人の空想はなぜか現実のものになってしまい…。

現実と空想、過去と現在が複雑に絡み合って一体何を信じればいいのか。

ポーリィは記憶をたどりながら真実を見出そうとするのですが…? 

 

ポーリィの日常生活、ティーンエイジャーの女の子のちょっと突っ張って背伸びした感

じや、両親(毒親ぶりが半端ない)や友達との関係はとても現代風にリアルに表現され

ています。なので、空想がなぜか現実になる、想像上の人物と思っていた人が実在

する…という場面とのギャップが激しく、それだけに時空がねじ曲がっていくような、

自分の正気を疑ってしまうような、ゾッとする怖さがありました。(空想が現実になっ

て二人に襲い掛かってくる描写はアニメ『ハウルの動く城』を連想しました)。

何者かによって巧妙に隠された真実。その人の真の姿は何なのか、本当の目的は何なの

か?という謎めいた設定と、「本音とたてまえ」だとか「子どもの目に見えていた世界

と、大人になって見えてくる(理解できるようになる)世界は違う」という、実際にも

よくある二面性が一緒になって複雑な物語世界が展開し、謎を知りたくて先へ先へと読

んでいきたくなります。

最初のころのポーリィの言動には正直共感できない部分もあったのですが、後半では

自分の行動に責任を持ち、運命に立ち向かう強さを持つ女性に成長したポーリィを応戦

する気持ちになりました。

また、最初は子どもと大人という二人の関係が、だんだん恋愛対象として互いに意識し

始めるところや、ポーリィが空想や書物を通じて精神的に成長していくところ、自分で

も物語を書き、リンさんに読んでもらおうと送るとそっけない評価が返ってくる、とい

うあたりは、わたしの大好きなモンゴメリの『可愛いエミリー』シリーズのエミリーと

ディーンの関係を思い出してちょっと嬉しくなりました。

 

解説によると、この物語はイギリスの古い伝承である『詩人トーマス』と『タム・

リン』という物語がもとになっていて、さらにリンさんがポーリィに贈った本の内

容も踏まえているのだとか。リンさんが贈った本は古典ありファンタジーの名作あり

で、これらの本の内容を知っていればもっと楽しめる、という凝った仕掛けになってい

るそうです。この本知らなかった!という本が何冊もあったので、これから読んでみた

いと思っています。

 

古い伝承を現代風にアレンジした物語であり、

親からあまり顧みられない孤独な少女が自分の想像力と書物を通じて成長していく物語

でもあり、

そして少女と青年のラブストーリーでもあり。

伝承をもとにしているので、「そういうこと」なのか、という肩透かし感は少々ありま

すし、盛り上げるだけ盛り上げた割にはあっさりしたエンディングだなぁ、と思わなく

もないですが、逆にお約束の最後がありながらもそこまで読者をぐいぐいと引っ張って

いく展開には引き込まれます。他の作品ももっと読んでみたいと思いました。

とら年なので虎の本~『おちゃのじかんにきたとら』

2022年が始まりました。

さて今年は寅年なので、新年最初の記事は虎の出てくるお話を。

 

ソフィーがおかあさんとお茶の時間にしようとしたら

突然玄関のベルが鳴りました。

ソフィーがドアを開けるとそこに立っていたのは

おおきくて 毛むくじゃらの、しまもようのとら!

 

 

 

虎の出てくるお話といえば

あの、溶けてバターになってしまうお話があまりにも有名。

 

 

『エルマーのぼうけん』にも出てきますね。

 

 

 

本来は獰猛な肉食獣ですから、「お前を捕まえて食べてやる」が常套句。

そしてそれを出し抜く主人公とのやり取りが楽しい、というのが虎の出てくるお話の定

番のように思っていました。

プー横丁にたった家』のトラ―のように、天真爛漫なお子ちゃまキャラもいるにはい

ますが、悪意はなくてもトラ―のはねっかえりのせいで事件が起きたり気の毒な被害者

が出ることも。

 

 

いずれにしても人には計り知れないパワーを秘めている、それが虎というもの。

 

 

ですので『おちゃのじかんにきたとら』のつづきも

そしてとらは大きな口をあけて!!

…と思ったら。

あれれ?予想外の展開と終わり方。

恩返しにも…来ない。

魔法が解けて王子様に戻ったりも…しない。

まあそうはいってもとらがお茶をしにくる、というだけで意外性は十分。

とらの計り知れないパワーも感じるし、

ふだん禁じられているようなことをとらがやってのける痛快さもあり、

子どもの好きな繰り返しもあり。

何度か楽しく読み聞かせした本でした。

 

でも作者の経歴(ナチスの迫害を逃れ云々…)を知るとちょっと深読みしたくなって、

ある日とつぜんやってくる、妙に礼儀正しいとらの象徴するものは?

などとあれこれ考えてしまったのでした。

もしかして、

とらは予期せぬ時に気づかぬ形で訪れる災いを示唆していて、

ソフィー達の落ち着きぶりは、

「とら」に根こそぎにされても挫けませんよ。

わたし達は家族で寄り添っていつも通りの生活をおくりますよ。

そのために備えもしてありますよ。

そういうメッセージなのかしら…と。

 

ここ数年いろいろなことがありましたが

どうか2022年は平和な年でありますように。

急に「とら」がやってきたりしませんように。

そしてもしもやってきてもうまくやり過ごして平穏な生活を送れますように…。

今年もボチボチブログが書けますように…。

 

 

『クリスマス人形のねがい』

 

 

きれいに飾られたおもちゃ屋さんのショーウインドウをのぞき込む少女。

クリスマスプレゼントを選んでいるのでしょうか?

 

『人形の家』の作者ルーマー・ゴッデンの作品だけあって、主人公のひとりホリーは

お人形。赤いドレスに赤い靴、緑のペチコートとソックスのクリスマスカラーを身にま

とっています。こんな可愛いお人形、プレゼントにもらえたらどんなに嬉しいでしょ

う。

 

クリスマスを前にして、買ってもらおうと武者震いするおもちゃたち。

おもちゃたちが「クリスマスには、小さな男の子か女の子をもらえるのよ」と考える

ところがほほえましいです。あたたかい家庭に加わって、こどもたちにもみくちゃに

可愛がってほしい。自力では動けないし願うことしかできないけれど、強く願えば

きっと素敵な家庭に行けると信じて願い続けます。

 

実際のところおもちゃ屋さんにお人形やぬいぐるみを買いに行き、同じものがいくつも

ある中から選ぶ時って、顔つきはみんな似ている(というか同じ)なのに、少しでも気

に入った子を選ぼうとしてじっくり眺めたりしませんか?また、可愛い(かっこいい)

かもしれないけど自分では絶対に買おうとは思わないお人形、昔から家にあるけれど、

どうにも好きになれないお人形もいませんか?

もしかしてお人形の声なき願いや相性を感じとっているのかもしれません。

 

もうひとりの主人公アイビーは児童養護施設に暮らす6歳の女の子。クリスマスに帰る

家もなく、別の施設に預けられることになりますが、「おばあちゃんのとこへ行く」と

いう信念のもと行動します。

幼い子どもが自分の言ったことを本当だと信じ込んで行動することってよくあります

し、自分の運命は自分で切り開くタイプの女の子、と言えるかもしれません。

しかし親目線で読むと、施設の人がほんの6歳の子どもを一人で電車に乗せるなんて

ありえない!アイビーも知らない街を一人でうろつくなんて危なっかしいったらない!

現代ではありえない!とちょっとハラハラしながら読むことになりました。

アイビーは「おばあちゃん」に会えるのでしょうか?

そしてホリーは小さな女の子をもらえるのでしょうか?

 

作者は、「これは、ねがいごとのお話です」と言っています。

強く願ったホリーには幸せが訪れる。

そしてフクロウのぬいぐるみアブダカダブラのように、真摯な願いを嘲笑い、他のひと

の幸せが妬ましくて仕方がない人物(『人形の家』のマーチペーンとかぶります)

にはそれなりの結果が待っている。

ここでひねくれたわたしはつい、でもアイビーはただ願っているだけじゃなくて自分か

ら行動したよ、ジョーンズさんのおくさんも、などと思ったりもしたのです。けれど、

心からの願い、本当に叶えたい望みがあるとき、その思いが原動力となって行動し、頑

張れることは確かにあるので、「願えば叶う」ともいえるのかもしれませんね。

 

訳者の掛川恭子さんのあとがきによれば、

原題は「ホリーとアイビーの物語(The Story of Holy & Ivy)」で、これは主人公二人の

名前であると同時に、"The Holy and the Ivy" という有名な讃美歌の題名からとられたも

のなのだそうです。表紙のヒイラギ(ホリー)とツタ(アイビー)の絵も、クリスマス

の飾りであり、二人の象徴でもあったのでした。物語と挿絵、双方の魅力を堪能できる

美しい絵本です。