本棚に本があふれてる

読書の記録と本にまつわるあれこれ

本の中のクリスマス~『ムーミン谷の仲間たち』

 

 

フィンランドの作家トーベ・ヤンソンが生み出した「ムーミントロール」のお話。

テーマパークやカフェもできて大人気ですね。

 

ムーミン谷の仲間たち』は、ムーミン谷の四季を通じて、ムーミン一家やその周りの

人々の暮らしを描いた9つの短編集です。どの短編もしみじみ味わい深いお話ですが

(わたしは一つ選ぶなら「しずかなのがすきなヘムレンさん」が好きです)、

巻末にあるのが「もみの木」というクリスマスのお話です。

 

いつも仲睦まじいムーミン一家。

クリスマスだって一家そろって楽しく過ごすのだろう、と思いますよね。

ムーミントロールスノークのおじょうさんが綺麗に飾り付けたツリーの下で、ムーミ

ンママが腕によりをかけてこしらえたご馳走を囲み、プレゼントを交換して(ヘムレン

さんのプレゼントは切手シートで決まりでしょう)、プレゼントをめぐってミィとス

ニフの間でちょっとしたいさかいがあって、スナフキンがハーモニカを吹く。家の外は

美しい雪景色…。こんな場面を勝手に想像していました。

 

さて、「もみの木」で描かれるムーミン谷のクリスマスの情景は…。

上に書いたイメージとはかなり違いました(なぜなのかは、ムーミントロールの生態に

詳しい方ならすぐわかるはず。冬ですからね…。)

クリスマスの準備に奔走するムーミンたちの行動はちょっと滑稽ですが、結果的に大き

な贈り物をしたことになり、知らず知らずのうちにクリスマスの本質をついているので

はないでしょうか。それに気づくと、今度はヘムルさんやガフサ夫人の行動の方が滑稽

でうわべだけに見えてきます。

さいごは心穏やかに平和な気持ちでクリスマスを迎えることができたムーミン一家に、

そっと「おやすみなさい」とつぶやいて本を閉じました。

 

 

 

 

 

 

『そして、バトンは渡された』

 

 

2019年に本屋大賞を受賞した本作品。まだ読んでいなかったのですが、映画が公開され

たこともあり遅ればせながら読みました(映画は未見です)。

 

主人公の優子には父親が3人、母親は2人。家族の形は7回も変わって、高校生の今は血

縁関係のない父親と二人暮らし。

人間関係大変そうだなぁ、と思わずにはいられないですが、当の優子はなんだか楽しそ

うに暮らしていて、父親との関係は良好、友達にも男の子にも人気があり、全然不幸で

はないと言い切る始末。

失礼ながら、最初は「こんなうまい話、物語の中だけでしょ」と思いながらダラダラ

読んでいました。なんだか出来すぎでつまんない、もう読むのやめようかな…と。

けれど途中から、「ん?」と思い始め、ちょっと座り直し、そこから先は一気に読んで

最後は涙でページがぼやけてしまいました。

 

優子は本当に優しく健気で可愛らしい子。読んでいるうちに娘のように思えて抱きしめ

たくなりました。でも母親としては、どうしたって気になるのは梨花さんです。

同じ母親という立場で考えたら優子より梨花さんの方に共感するはずですが、正直最初

はよくわからない人でした。

梨花さんが優子と出会って間もないころ、出産とか乳幼児の子育てとか大変なことを全

部すっとばして8歳の子の親になれてラッキーだ、自分ももう一度8歳の子どもの生活が

体験できて楽しい、と言う場面があります。この言葉には子育て経験者はみな共感する

部分はあると思いますし(実際はいくつになってもその年歳なりの子育ての大変さはあ

るのですけどね)、梨花さんなりの優子への気遣いも感じられます。

でも。出産だけじゃなくて、その後もいろいろすっ飛ばしちゃってない?そんな厳しい

目で見てしまっていましたが…。

 

出来すぎな話、いい人しか出てこない。現実はこんな心の綺麗な人たちばかりじゃな

い、こんなに都合よくはいかない、毎日のように家族間の悲しい事件が起きているじゃ

ない…。それはそうかもしれません。

でもだからこそこの物語は胸を打つし、特に優子と森宮さんの関係性には、血縁関係や

家族という狭い枠組みを越えて、人と人との関係はこうであって欲しいという作者の願

いを感じます。

振り返って自分の家族関係はどうだろう?血縁関係に甘えてない?当たり前の存在にな

りすぎてありがたみを忘れてない?もう少しお互いを思いやる気持ちを持った方がいい

のでは?そんなことに気づかされた本でした。

 

『児童文学の中の家』

子どものころ、外国の物語に出てくる家が憧れでした。100も部屋のある大きなお屋敷

ってどんなだろう、塔のあるお城って?屋根裏部屋って?そして天蓋付きのベッドや煙

突のついた暖炉、ランプに揺り椅子。挿絵を見ながらあれこれ想像したものです。なの

で、この本を見つけたとき迷わず手に取りました。

 

 

画家である作者が選んだ27の児童文学のワンシーンを、建物や家具の挿絵を中心に紹介

しています。『大きな森の小さな家』『秘密の花園』『やかまし村の子どもたち』な

ど、わたしも大好きで読みふけっていたお話ばかりなのがまずとても嬉しい。

色鉛筆で描いたような温かみのある優しい色合いの絵がとても素敵で眺めているだけで

も楽しいし、物語のあらすじを読めば「そうそう、そうだった」と忘れかけていた記憶

がよみがえります。

それぞれの物語の舞台となった場所の気候風土、時代による建築様式や家具調度品の

特徴、建物の見取り図、物語の時代背景なども丁寧に説明されています。本当に登場人

物たちの生活をのぞき見しているような気分になりました。

「こんな住み心地のよさそうな家だから、こんな楽しい出来事が起きるのね」「こんな

寒々しいお城では、悲劇が起こるのも無理はない」「こんな広い邸宅だから、見つから

ずに作業ができたのね」などなど、家と物語との関係性を改めて考えると一層興味深

く、また読み直したい本が沢山できてしまいました(たぶん27作、全て読み直してしま

うかも)。

イギリスチューダー朝のハーフティンバー様式の田舎家、ヴィクトリア朝の美しい邸

宅、スウェーデンの民家とお城、アメリカ開拓時代の丸太小屋、スイスの山小屋、ロシ

アの宮殿、さらには豪華寝台列車まで、ちょっとした世界旅行の趣も味わえるのがまた

楽しい一冊です。

好きな長編ファンタジー10選

はてなブログ10周年特別お題「好きな◯◯10選

 

物語の世界にたっぷり浸れる長編ファンタジーを10個選んでみました。

(どの順番で紹介しようか悩んだあげく、自分が読んだ順で落ち着きました。)

映像化されているものも多いので、そちらの感想も一言書きました。

 

1.『ドリトル先生』シリーズ

2.『コロボックル物語

3.『ナルニア国物語

4.『指輪物語

5.『ハリーポッター』シリーズ

6.『守り人』シリーズ

7.『氷と炎の歌

8.『十二国記

9.『ガフールの勇者たち』

10.『テメレア戦記』

 

 

1.『ドリトル先生』シリーズ 

ヒュー・ロフティング  井伏鱒二訳 岩波書店

お人好しの医者、ドリトル先生は大の動物好き。動物好きが高じて患者が寄り付かなく

なってしまいます。そこでペットのオウムから動物の言葉を教わって獣医になると、国

中から沢山の動物たちが診てもらおうと押しかけて大繁盛。ある日一羽のツバメがやっ

てきて…。

動物と話ができたらいいな、いろいろな国に行ってみたいな。誰もが抱く幼いころの

夢をそのまま形にしたような物語。浮世離れしたドリトル先生とそれを一生懸命支える

動物たちがとても可愛らしく、更には奇妙奇天烈な珍獣に、「ここまで行っちゃう

の?」の奇想天外なストーリー。夢中になって読みました。

作者自身の描いた挿絵がまたほのぼのとしていてとても素敵なんですよね。

 

いろいろ映像化されているようですが、ロバート・ダウニー・ジュニア主演の『ドクタ

ー・ドリトル』は見ました。原作と違う部分もあるけれど、先生の浮世離れ感や動物た

ちの奮闘ぶりはおんなじで懐かしく楽しかったです。

 

 

2.『コロボックル物語 佐藤さとる 講談社

主人公の「ぼく」はある日偶然小山をみつけて秘密の隠れ家にします。そこには「こぼ

しさま」というふしぎな小人の言い伝えがありました。ある時、一緒に遊んでいた女の

子が川に靴を落としてしまい、追いかけたぼくが見たものは…。

人間がコロボックルと出会い友情を育んでいく物語。日本のファンタジーを代表する名

作だと思います。コロボックルはきっといると信じていた子どもはわたしを含め沢山い

るはずです。

舞台は昭和期の日本のごく普通の郊外の町。登場人物もごく普通のひとたち。異世界

の移動もなければ魔法もないありふれた日常もファンタジーの舞台になる。ファンタジ

ーの世界はわたしたちのすぐそばにある、信じればそこにある、と作者は伝えているよ

うに思います。

コロボックル一人一人の人物造形はもちろんのこと、社会の仕組みや歴史なども細かく

設定された圧倒的なリアリティと破綻のない世界観、そして村上勉さんによる精緻な挿

絵の力で、「本当に見てきたかのように」語られる世界は何度でも訪れたくなる魅力に

あふれています。

 

 

3.『ナルニア国物語 C.S.ルイス 瀬田貞二訳 岩波書店 

暗いクローゼットを抜けたらそこは別世界だった…。

あまりにも有名なオープニング。イギリスから迷い込んだ4人のきょうだいが「ナルニ

ア国」の王、女王となり、長い間平和な治世が続きますが…。

神話や伝説に出てくるさまざまな生き物が登場したり、異国情緒あふれる物語が展開し

たり、命がけの冒険があったり、ハラハラドキドキの連続です。各巻で時代や登場人物

が異なりながらも一つの大きな物語が紡がれていきます。

実は作者が子どもたちにキリスト教を易しく教えるために書いた作品だそうで、

確かに「ナルニアの存在を信じない者はもう戻ることができない」とか、「たとえ異教

の神を信じても、それがまことの信心ならばそれは異教の神ではなくアスランを信じる

ことになる」という表現はなるほどな、と思います。

そして子ども向けの物語としてはかなりショッキングな終わり方もキリスト教的な魂の

救済ということになるのでしょうか。

 

映画は風景がとても綺麗だったし、子どもたちも適役だったのに、第3章までで終わっ

てしまったのが残念です。

 

 

4.『指輪物語』 J.R.R.トールキン  瀬田貞二訳 評論社 

20世紀最大にして最高のファンタジーと言って過言ではないと思います。

世界を悪から守るため、力の指輪を滅びの亀裂に捨てに行く旅に出る9人の仲間。

人間、エルフ、ドワーフ、魔法使い、そしてホビット。命がけの旅を続ける彼らに次々

と試練が降りかかる。指輪の行方は?彼らは世界を守り抜けるのか…?

とにかく圧倒的なスケールの大きさ、北欧やケルトの神話を下敷きにした完璧な世界観

(作者は物語の中で話される言葉まで創作しています)が素晴らしいです。

自分の大切な人や国を守るために立ち上がる一人一人の勇気ある行動が積み重なって一

つの大きなことを成し遂げるストーリーに感動する一方で、9人の旅の仲間の功績は長

く語り継がれはするけれど、悠久の時間の中ではそれも一つのエピソードにすぎず、そ

の後も時は流れ命は巡っていく…そんな無常観も感じます。

 

絶対映像化できないと思っていたのにピータージャクソン監督がやってくれました!

とにかく素晴らしかった。ラストのイライジャ・ウッドの笑顔にはやられました。

 

 

5.『ハリー・ポッター』シリーズ 

J.K.ローリング 松岡祐子訳 静山社

社会現象にもなった「ハリポタ」シリーズ。

両親を幼い時に亡くし、親戚の家で冷遇されていたハリーは、11歳の誕生日に自分が魔

法使いだと知らされ魔法魔術学校に通うことになります。

友達や先生に囲まれて楽しい学校生活を過ごせると思いきや、何故か周りに起こる事件

の数々。徐々に明かされる自分の宿命。出会いと別れ。そして運命の対決の結果は…?

1巻から7巻までの物語で、11歳の子どもから17歳の青年へと大きく成長していくハリー

が描かれます。原文がそうなのか、訳者の工夫なのかわかりませんが、最初は子どもっ

ぽい感じの筆致が次第に(内容もシリアスになってくるのに合わせて)落ち着いた表現

になってくるところもハリーの成長を感じさせて面白いと思いました。

そしてなんといってもクィディッチをはじめとする魔法界の世界観や呪文の数々、重苦

しいストーリーをつかの間忘れさせてくれるちょっととぼけた登場人物たちもとても魅

力的です。

 

映画は、同じキャストで最後まで撮れ、映画の中でもハリーたちの成長を感じることが

できて良かったです。魔法のシーンは映像で見るととっても「魔法ぽくて」楽しいです

ね。

 

 

6.『守り人』シリーズ 上橋菜穂子 偕成社

日本の、というよりもアジアのファンタジー。日本や周辺のアジア諸国を彷彿とさせる

世界。女用心棒のバルサはひょんなことから皇子チャグムを命がけで守りぬくことにな

る。バルサとチャグムの運命は…?

作者は物語を書く人になりたくて文化人類学を学んだそうですが、風俗、言葉、神話伝

説など、実在の国を連想させながらも他にどこにもない世界観を作り上げているのはさ

すがだなぁと思います。バルサとチャグムの偶然の出会いから、どんどん広い世界(バ

ルサたちの世界での「異世界」も含めて)へ話が展開していくスケールの大きさには

圧倒されます。そして本の中の話が終わっても、どこかで登場人物たちがちゃんとその

後の人生を生きているような時間的な広がりも感じます。

また、上橋菜穂子さんの作品は市井の人への暖かいまなざしを感じます。国は誰のため

にあるのか、政治はなんのためにあるのか、そこに暮らす人々が平和に暮らすためでは

ないのか…そんなことも考えさせられます。

 

アニメ版はバルサの絵と声優さんの雰囲気が好きでしたが時間的に見る余裕がなくて途

中で挫折し、それっきりになってしまいました。

ドラマ版は綾瀬はるかさんはとても良かったのですが、できれば色々な国の俳優さんを

使って、海外ロケもガンガンやって、多国籍感と空間的な広がりを演出してほしかった

なぁ…。

 

 

7.『氷と炎の歌』 

ジョージ・R・R・マーティン  岡部宏之/酒井昭伸訳 早川書房

もはや『ゲースロ』と言ったほうがわかりやすい感がありますが。

中世イギリスをイメージさせる「ウェスタロス」を舞台に、王座をめぐる争いを描くダ

ークファンタジー。血で血を洗う貴族たちの権力争い、時には身内ですら容赦なく切り

捨てる。きれいごとでは済まない壮絶な人間ドラマは本当の歴史もそうだったのだろう

と逆にリアリティを感じさせるのですが、更にそこへ北の国の「異形」やドラゴンや魔

法などが絡んでくるともう何が何だか。怖いけど惹きつけられて目が離せないし、この

混沌とした状態をどう終わらせるのか先が知りたくて仕方ないです。

 

こちらのドラマ版は多国籍感と空間的な広がりはバッチリ!迫力満点で素晴らしい。

でも本よりもドラマが先に終わってしまったんですよね。本で読んだところまで見て、

続きは我慢しているのですが、いつまで待てるかしら…。

 

 

8.『十二国記』 小野不由美 新潮社

幾何学的に並んだ12の国、不老不死の王、人の形をとる神獣麒麟。王の治世が行き届か

ない国では国土が荒れ果て妖魔が跋扈し、天によって次の王が選ばれる。平凡な女子高

校生陽子は、ある日突然「あなたが女王です」と告げられてそんな摩訶不思議な世界に

連れてこられてしまった…。

古代中国をイメージさせる一種独特の世界観が面白いです。ものすごく荒唐無稽ではあ

りますが、大勢の登場人物の個性が見事に書き分けられていることもあり不思議なリア

リティがあります。今までの価値観が全く通じない世界に放り込まれてしまった主人公

が傷つきながらも自分の居場所を見つけるまでの過程は感動的です。現実の社会を生き

ていくのにも必要だと思われるような前向きな考え方が随所にちりばめられ、元気が出

ます。

 

アニメ化されているそうですが未見です。

 

 

9.『ガフールの勇者たち』 

キャスリン・ラスキー 食野雅子訳 角川書店

人間(=「異生物」)がはるか昔に滅び去り、フクロウが支配する世界の物語。

孤児になったメンフクロウがフクロウの伝説の国を探して仲間とともに旅に出ます。

可愛い鳥さんのフワフワしたお話と思うなかれ。謎のフクロウ孤児院、種族間の争い、

兄弟の確執、出生の秘密、そして伝説の国は本当にあるのか? ハードな展開に目が離

せなくなります。実は子どもが先に読んで夢中になり、わたしに教えてくれました。

 

映画は、原作のエピソードをぎゅっつとまとめた、スピード感のある展開です。美しい

3D映像により、フクロウの種類ごとの大きさや羽の色の違いとか、飛ぶときの翼の動

きの美しさとか、生きものとしてのフクロウの魅力も堪能できます。

 

 

10.『テメレア戦記』 ナオミ・ノヴィク  ヴィレッジブックス

主人公ローレンスはひょんなことからドラゴンの「担い手」となり、やがてそのドラゴ

ン、テメレアと厚い友情で結ばれていきます。待ち受ける戦闘と冒険の数々。二人の運

命は・・・?

ナポレオン戦争時代のヨーロッパにドラゴンがいるというパラレルワールド的な設定

(ナポレオンやネルソン提督などの歴史上の人物も出てくる)が面白いです。

種族最後の生き残りが数匹ひっそりと暮らしていて、人間を敵視していて、魔法使いや

ごく一部の選ばれた人間だけが心をかわすことができる…。そんなよくあるドラゴン像

が良い意味で裏切られます。ドラゴンと人が一体となって繰り広げる戦闘シーンは迫力

満点でカッコいい!

全9巻で完結しているそうなのですが、日本語訳はまだ6巻までしか出ていないので続き

が非常に楽しみです。

 

『てのひら島はどこにある』~佐藤さとるの「原点」

佐藤さとる展のHPで「佐藤さとるの原点」と紹介されていました。

 

 

初版は1965年。初版の絵による新装復刊とのことです。

 

実はこの本も読んだことがなかったのです。

言い訳めきますが、『コロボックル物語』シリーズが好きすぎて、コロボックルの出て

こない作品には目がいかなかったというか。

本当に出会えてよかったなぁと思いましたし、個人的には大人になった今読んだことで

良さがわかったのではないかとも思いました。

 

『コロボックルの世界へ』の中で、作者は『てのひら島はどこにある』は『だれも知ら

ない小さな国』の下敷きになった話であると語っています。

たしかに、読み始めるとすぐ、似ている点が沢山あると気づきます。やんちゃな太郎、

すばしっこく飛び回る個性豊かな虫の神様たち、谷間の奥に隠れているようなヨシコの

家、など。

また、佐藤さとるのお話は「ボーイミーツガール」の物語でもあると思うのですが

(せいたかさんとおちび先生、クリノヒコとクルミノヒメ、正子とイサオ……)、

太郎とヨシコのお話も胸がときめく素敵なボーイミーツガール物語です。

 

けれど『だれも知らない小さな国』と似ていない部分にも、『てのひら島はどこにあ

る』の魅力があり、「原点」と言われる所以があると思います。

だれも知らない小さな国』が、「そこにあるけれど気づかなかった小さな世界」を見

つけ、守り、発展させていく話だとしたら、『てのひら島はどこにある』はその前段階

というか、「まだどこにもない小さな世界」を創り出し、失くし、また見つけるまでの

お話といえるのではないかと思うのです。

 

だれも知らない小さな国』では、「ぼく」のいる世界は現実の世界ではありますが、

同時に既にファンタジーの世界(コロボックルのいる世界)でもあります。

一方『てのひら島はどこにある』では、「虫の神様」や「てのひら島」のお話は、「話

中話」という形式により、あくまで太郎のいる現実の世界で語られるファンタジーとし

て区別されています。ところが話が進むうちに現実の世界とファンタジーの世界が魔法

のように溶け合っていくのです。そこがとても面白いと思いました。

最初はお母さんが虫の神様のお話を作って聞かせますが、子どもたちは自分たちで続き

を作っていくようになります。そのうち他の人には話さなくなるけれど、忘れてしまっ

たわけではなくて大事に自分ひとりの胸にしまっているだけ。

佐藤さとるのいう「人がそれぞれの心の中に持っている小さな世界」が太郎の心にも生

まれたのです。わたしも一人でお話を作って空想(妄想?)を楽しんでいたこどもだっ

たので、とても共感できました。

太郎は、ヨシコだけはとっておきの話を聞かせます。「自分の小さな世界」を共有する

仲間を見つけたのです。ヨシコとの出会いがきっかけになって、「てのひら島」の物語

も生まれ、また聞かせてあげようとヨシコの家を探しに行きます。

ところが。

きえちゃったよ、あの人たち、どこをさがしてもいなかった。

どこかへいっちゃったんだ。

現実の世界的な見方では、単に正確な場所を知らなくて行きつけなかっただけ。

でも太郎のこの言葉で、現実とファンタジーの世界がいきなり曖昧になったように感じ

てドキッとしました。「神隠し」とか「隠れ里」のイメージが浮かびました。

太郎にとっては、単にヨシコに会えなかっただけでなく、ファンタジーの世界へ行く扉

を閉ざされてしまったということなのではないか。そんな風に感じました。

だれも知らない小さな国』の「ぼく」も、小山を見つけた後、引っ越しや戦争のため

一度はそこを離れざるを得ませんでしたが、大人になってから自分の意志で再び訪れる

ことができました。けれど太郎はヨシコに会いに行く方法すらわからないのです。

太郎の挫折感や喪失感は、「ぼく」よりももっと深かったのではないでしょうか。

太郎は「てのひら島」の地図をしまい込んでしまいます。それでも忘れることはできな

くて、ひとり、「てのひら島」のことを思います。

でも、太郎はそこにいませんでした。太郎のイスは、いつもからっぽでした。

この一文が切なくて、涙がこぼれそうになりました。

 

そして15年の歳月が流れて。

 

わかものはいきなりぼうしをつかみとって、ぽーんと空へなげたのです。

そして、こんなことを、ひくいこえでいったのです。

「さあ、みつけたぞ!」

 

偶然迷い込んだふしぎな谷間。もしかしたら、そこは別世界で、太郎は今度こそ「本当

のファンタジーの世界へ行く扉」を見つけたのかも・・・と思わせます。

なぜなら、ご丁寧にも太郎の話自体が「どこかのおばあちゃんが孫に話して聞かせた

お話」だから。ここでも「話中話」形式が生きてきます。

 

それでは結局、ファンタジーの世界は現実の世界とは違うどこかにあるのでしょうか?

いいえ、そうではありません。太郎のさいごの言葉で、作者は、

「同じ「小さな世界」を共有できる人がいれば、そこがあなたの居場所。

ファンタジーの世界はすぐそこにある」と示唆しています。

その「すぐそこにあるファンタジーの世界」が、『だれも知らない小さな国』で

描かれているとすれば、やはりこの話は「佐藤さとるの原点」だと思うのです。

 

 

佐藤さとるの過去記事】

 

zoee.hatenablog.com

 

zoee.hatenablog.com

 

zoee.hatenablog.com

 

zoee.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

『コロボックルの世界へ』

佐藤さとるの生み出した愛すべきキャラクター「コロボックル」。

身長わずか3センチ、可愛らしい見た目ながら動きは敏捷、靴の船を巧みに操り、カエ

ルに変装し、好奇心が旺盛で勇敢で、器用で賢くて仲間思い。

こんなコロボックルの住む世界を今まで知らなかった人は、夢中になること間違いな

し。ずっと昔から知っていた人も新たな発見があることでしょう。

 

 

ページを開くといきなり村上勉さんの描く物語のワンシーンが広がって、

またコロボックルに会えた、と嬉しくてわくわくしてきます。

さらにページをめくれば、空から見た小山のある街の眺め。

読者を小さな国へといざないます。

つづいて第一章と第二章でも挿絵をふんだんに使って、コロボックルの暮らしぶりや

社会のしくみ、物語に登場するコロボックルたちが紹介され、『コロボックル物語』の

ダイジェストを通じてコロボックルと人間との関わりが語られます。

こうしてまとめられると、各巻のストーリーの面白さはもちろんですが、全シリーズ通

して登場人物のキャラクター設定や彼らの暮らす世界が、時間の経過や歴史的背景まで

含めて細部まで破綻なく創りあげられていることに圧倒されます。『指輪物語』のよう

な完璧な世界観、しかも異世界ではなく現代の日本社会を舞台にしているのに全く違和

感がありません。これこそが、『コロボックル物語』の最大の魅力だと思います。

小さな国のつづきの話』で、ヒコ老人は

「知られたくないことは、あくまでもあかさない。しかし、教えてもいいことは、そっ

くりそのまま書く。ほんとうのことを、まるで作り話のように書くんじゃ」

と言います。佐藤さとるはあくまで「聞いた話を本にしただけ」という設定なのです

が、「作り話を、まるでほんとうのことのように」信じてしまうリアリティが『コロボ

ックル物語』にはあるのです。

コロボックルの世界を「見てきたように」描き出す村上勉さんの挿絵の力も忘れること

はできません。コロボックルの姿かたちはもちろん、鏡台の引き出しを使ったコロボッ

クルの部屋や地下の町の描写や、道具類(マメイヌのわな!)など、写生してきたとし

か思えないです。

 

では、わたしたちを虜にするこのコロボックルはどうやって生まれたのでしょうか?

第三章、第四章では、作品の「あとがき」や作者へのインタビューを通じて物語の背景

や物語に秘めた作者の思いが語られます。

 

佐藤さとるは幼少期を過ごした横須賀の「按針塚」で思う存分外遊びをする一方で、

童話に親しみ、主人公たちが野山に隠れ住んで活躍しているのを想像するようになりま

した。最初は漫画家を志し、雑誌に載っていた初山滋の絵のサインをもとにした「チッ

チャイ人」を主人公にしようと思います。

やがて自分で長い童話を書きたいと思うようになり、夏目漱石の俳句「菫程な小さき人

に生まれたし」からインスピレーションを得て妖精のような小人「クリクル」を生み出

し、いくつかの作品を書きました。

そして、戦争で何もかも変わってしまったと思っていたのに、戦後久しぶりに訪れた按

針塚が昔のままだったことに感銘を受け、按針塚を舞台にして物語を書きはじめます。

しかし日本の童話には妖精はしっくりこないと思い始め、今度は虫を主人公にしようと

思いつきます。子どものころに虫取りに熱中したことや、後に妻となる女性が子どもの

ころに「おこり虫」と呼ばれていたと聞いたのがきっかけでした。その時は、虫の話は

現実の世界の話の中に挿入される「話中話」という形でした(この話がのちに『てのひ

ら島はどこにある』になります)。

更に、それよりも現実の世界の中に小さな魔物が飛び回る物語のほうが面白いのではな

いか、人の形をした小人で伝承の中にでてくるようなものがいい、と思うようになりま

した。そこからアイヌの伝説コロポックルと『古事記』の少彦名命にたどりつきます。

双方の共通点を見つけ、もともと同じものだったのではという仮説の元にコロボックル

が生まれたということです。

佐藤さとるは『だれも知らない小さな国」は自分の青春の「思いのたけ」を綴ったもの

であり、幼年時代から積み重ねた空想のカケラが積み重なっていったものだと語ってい

ます。幼いころの環境や読んだ本や出会った人物、すべてが運命的に絡み合っているこ

とを感じます。実はご両親は北海道の出身で、お父さんから『アイヌの話』という本を

譲り受けていたそうなのです。昔からコロボックルが守り神としてついていたのでは?

と思うようなエピソードです。

 

こんなに素敵なコロボックルの世界、ほかにもお話を知りたい、いつまでも続けてほし

い、と思っていましたがシリーズは完結し、佐藤さとるも2017年に亡くなられたので、

コロボックルの話を私たちに聞かせてくれる人はいなくなってしまいました(有川浩

んが2015年に『だれもが知ってる小さな国』を発表しています)。

佐藤さとるは、物語を続けていくとコロボックルの「トモダチ」になる人間がどんどん

増えてしまい、現実の方がひずんである種狂気の世界へ入ってしまうのでやめた、と語

っています。そしてこれで終わりだと思ったときに、

「コロボックルが象徴するものが何かということを悟った」

「それが何か、ということは言うつもりはないけれど、だから終わったんだということ

もわかった。非常に大きなものですよ。だけど秘密」と言っています。

コロボックルの象徴するものは何なのでしょう?

わたしは『コロボックル物語』の根底には「異質なものへの理解と協調」があると感じ

ていましたが、今回改めて考えてみて、「コロボックルはわたしたち自身(のなりたい

姿)」なのかもしれないと思いました。

ひっそりと自分たちだけで暮らしていたのが、仲間を得、様々な知識を身に着け、

広い社会に出て更に新しい仲間に出会い友好を深めていく。新しい良い物は積極的に取

り入れる一方で自分たちの文化や伝統、環境は大事に守ろうとする。

近代以降の人類が歩み、目指そうとする世界の縮図がコロボックルの世界なのでは

ないか。そんな風に思ったのですが、でもそれだったら終わりにする必要はない気がす

るし……。

 

ここまで駄文を連ねてしまいましたが、実は第五章「コロボックルへの手紙」を読め

ば、『コロボックル物語』の魅力について錚々たる作家陣(梨木香歩有川浩、重松

清、中島京子佐藤多佳子上橋菜穂子)が熱く語ってくださっています。

第五章は講談社文庫『コロボックル物語①~⑥』の解説を転載したものですが、わたし

の手元にある本は古い版なのでこの解説は初めて読みました。感動しました!

大好きな作家が自分と同じようなことを考え、幼いころに同じような行動をとり、自分

ではうまく表現できなかった思いを的確に表現して下さっていることがとても嬉しく

て、涙が出そうになりました。

そう、わたしもそう思ってた、コロボックルを探してた、いると信じてた……と。

 

特に有川浩さんの

かつての私たちは、「コロボックル」を信じた。しかし、それは不思議を信じたがる子供のころに特有のはしかではない。

「コロボックル」というファンタジーを支えていたのは不思議な魔法や奇跡ではなく、圧倒的なリアルだった。私たちはファンタジーではなくそのリアルを信じたのだ。

という文には深くうなずきましたし、

 

上橋菜穂子さんの

コロボックルは、私たちを見ています。

そのまなざしを感じて、私たちは心から思うのでしょう。ー善く在ろう、と。

コロボックルたちに、トモダチになりたいと思われる、そんな人で在りたい、と。

という文には、これがコロボックルの象徴するものなのかもしれないと感じました。

 

最後に佐藤多佳子さんの解説文をご紹介して終わりにしたいと思います。

きっと、世の中には、文字になっていないけれど存在している数多の物語があるのだろう。「秘密」とされて伝えられなかったコロボックルたちの幾千幾万の生活と冒険と恋の物語。幸運にも知ることができた大切な物語を思い浮かべて、心を開き、目をこらし、耳をすますと、語られなかった物語のカケラがつかめるのかもしれない。
 
わたしもこれからも何度でもコロボックルに会いに行き、「語られなかった物語のカケ
ラ」を探すことでしょう。
 

 

 

佐藤さとるの世界

神奈川近代文学館で9月26日まで開催されていた

佐藤さとる展ー『コロボックル物語』とともにー」。

行ってきました!

・・・と言えればどんなに良かったか。

物凄く行きたかったのですが、色々ありまして残念ながら行けませんでした(涙)。

未練がましく企画展のHPを見ていたら、今まで読んだことのなかった本が何冊か紹介さ

れていたので、せめて本だけでも読みましょうとそれらを読みふけり、ついでに『コロ

ボックル物語』を(何回目になるかわかりませんが)読み直していました。

 

やっと感想をまとめることができましたので何回かにわけて書いていこうと思います。

まずは佐藤さとるの自伝的物語。

 

 

 

 

『オウリィと呼ばれたころ』は、生い立ちから始まり、戦争中の疎開経験などを経て

専門学校で建築を学びながら童話を書き始めるまでの話。

 

『コロボックルに出会うまで』は、学校を卒業後、働きながら同人誌で童話を書きつづ

け、生涯の伴侶と出会うまでの話。

 

 

コロボックル物語』の作者=佐藤さとる=「せいたかさん」だと思ってきた読者はわ

たしを含め多いと思います。けれど『小さな国のつづきの話』の中で、作者は自分のこ

とを「せいたかさんではない」「せいたかさん経由で伝えられたコロボックルの物語の

語り手である」と言いました。作った話ではない当時のわたしはそう理解しました。

大人になってからは、本のあとがきや解説を読んで知ったつもりになっていましたが、

この2冊を読んだことで物語の「作り手」としての佐藤さとるを再発見できました。

もっと早くこの本を読めば良かった。出会えて嬉しい半面ちょっと残念な微妙な気持ち

になりました。

 

佐藤さとるは1928年(昭和3年)横須賀生まれ。

お父さんが海軍、お母さんが教員という家庭環境で躾や教育にも熱心だったのでしょ

う。小さいころから外国の童話などに親しんで育ちました。

またその一方で、「按針塚」と呼ばれていた塚山公園周辺の豊かな自然の中を思う存分

駆け回って遊びました。この「按針塚」で過ごした少年時代が作家佐藤さとるの原点で

あり、数々の物語の舞台ともなっています。

しかしその後の青春時代は戦中、戦後の混乱期を乗り越えなくてはなりませんでした。

学徒動員、父の戦死、自分の病気、疎開、家族を養うため学校に通いながらのアルバイ

ト生活……。

淡々と語られていますが今の私たちには想像できないような厳しい生活、そんな中でも

卑屈にならず、正直にまっとうに前を向いて生きていく姿に頭が下がります。

「オウリィ」というのは疎開先の旭川進駐軍の食堂のアルバイトをしていた時に

アメリカ兵からつけられたあだ名で、「ふくろう坊や」くらいの意味。作者は

「ふくろうには『賢者のふりをする』『生半可』『知ったかぶり』という意味もある」

と謙遜していますが、アメリカ兵の目に映っていたのは「眼鏡をかけた、考え深そうな

物静かで真面目な青年」の姿だったことでしょう。

 

本を読んでまず驚いたのは佐藤さとるの運の強さです。

何度もピンチはありますが、ここぞというときの「運命の曲がり角」になると、いつの

間にか結核が治っていたり、友人や周囲の人から仕事を紹介してもらえたり、学校の追

加募集締め切り二日前に申し込めたり(そして合格できたり)するのです。最初の就職

は希望に沿う形ではありませんでしたが、そこから転職した先で生涯の伴侶に出会った

り、さらにまた編集者への転職が叶ったりと、着実にステップアップしていきます。

もちろんご本人のお人柄だったり、地道な努力があってこその「運の良さ」なのですが

それにしてもコロボックルのような守り神がいるのでは?とつい思ってしまいます。

また、佐藤さとるはとても多才な、沢山の顔を持つ人でもあります。

技術者であり教師であり編集者であり作家。

働きながらも「いつか長編童話を書きたい」という夢を持ち、作家の平塚武二に師事し

ながら同人誌に入って童話を書き続けます。穏やかな夢想家なのかと思っていると、

「建築局に移してもらえないなら他へ行きます」とか、

「いついつまでに短編をひとつかけ、と言われても困る」などの強気の発言がでてきて

びっくりすることもあります。小さい時は相当なやんちゃ坊主だったということです

が、でもこういう芯の強さがあるからこそ、日々の生活に流されてしまうことなく

「読んでも読んでもなかなか終わらないような長い長い童話をいつか書いてやる」

という夢を持ち続けていられたのでしょう。

 

そしてつらい経験も、楽しい思い出も、出会った人たちも、書き綴った初期の習作も、

全て落とし込んであの数々の名作が生まれたのだということがよくわかります。

物語の舞台となる「按針塚」。「作中のあの人のモデルかな?」と思うような人々や職

業。技術者としての科学的な知識、新聞の編集やガリ版刷り、測量のアルバイトで行っ

た道路開発工事のゴタゴタなどの仕事上の経験も「あ、これはあの話の・・・」と思え

るものばかりです。

また、初期の作品のひとつである「大男と小人」という童話は、おじさんと少年のよく

ある日常会話を切り取っているだけのようなのに、視点をちょっと変えるだけで大男や

小人が出現することに新鮮な驚きを感じますが、「日常のできごとの視点を変えてみ

る」「ほかの人の立場に立ってみる」、こんなところにも佐藤さとるの人柄が現れてい

るように思いますし、後の作品にもずっと反映されている考え方だと思います。

 

コロボックルを主人公に据えた物語を書くようになった経緯は、『コロボックルの世界

へ』という本にも詳しく書かれています(別記事をご参照下さい)ので、最後に個人的

に印象に残ったエピソードを二つご紹介します。

 

ひとつは『オウリィと呼ばれたころ』に出てくる、鉱石ラジオを仕込んだ箱根細工の小

箱(手のひらにのる大きさ)の話。もともと小さいものが好きだったということです

が、「小さくて可愛いもの」というより「小さい中に機能がぎゅっと詰まっている精密

さ」が好きだったのではないでしょうか。男の子によくある、虫の精巧な体つきや動き

に興味を持つとか、お父さんの時計がチクタク動くのに興味を持つとか。その延長線上

にあるのがこの小箱だと思います。ラジオと優美な細工物といった一見相反するものを

融合させる着想の豊かさと、それを実現して新たな機能美を生み出す根気強さと器用

さ。佐藤さとるという人をよく表している象徴的なエピソードだと感じました。

 

もうひとつはなんといっても、『コロボックルに出会うまで』で描かれる奥様との出会

いです。

出会ったその瞬間に「この人が自分の伴侶になる人だ」と、しかもお互いが思うとは、

運命に導かれたとしか思えません。

奥様は小柄だけれども彫の深い顔立ちの理知的な美人。『コロボックル物語』に出てく

るあの人やこの人のモデルはきっと奥様に違いないです。

「わたくしとしては、旦那様はただのヒラ先生でもいいし、売れない童話作家でもいいし、もちろん編集者でもかまわない」(『コロボックルに出会うまで』)

結婚直前に転職しようとする婚約者にこんな風に言えるなんて素敵な方ですよね。

相手への深い信頼と愛情を感じます。

 

魅力的な物語を紡げるひとはやっぱり魅力的。

コロボックル物語』をはじめとする佐藤さとるの本がもっともっと好きになりまし

た。